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発信主義。:「抱えるくらいなら、発信【発進】せよ」 **** mistyの目に映る様々な社会現象を、考察・検討を通してグダグダ考えましょう。

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エンターテイメントとしての「芸術」/情報享受の手法


ぬーん。
せかいのみなさまこんばんは。

このblog、筆記者及び管理者の定義によれば、「芸術の在り方を検討することで、社会問題を考察する」ことを目的として掲げているハズですよね。

過去の記事のトラックバック。
芸術の、「げ」の字も未だ現われていない笑

みっともない言い訳をさせていただきますと、まず、今割ける時間が確保しづらい。それから、まだ、出発点としての「芸術の検討」を決めかねている(まだ思考体系になっていないということですw)

ふざけてるよ、このブログ。
ということで、少なめですがエッセイとしてその出発点の出発点をごく端的に述べたいと思います。

その前に一つ。

@情報享受の手法
当然、自分にとって重要な情報は、知りたいと思う訳だし、道徳としての法に抵触しない限りに於いて、正しくそういった情報を集めたい。

「知る権利」として、そもそも「権利化」する必要があるのかどうか、という問題については、ものすごく深いものがありますが、今回はそんな事柄じゃなくって単に上のようなこと。
んでですね。

私は、前、どっかの記事で、マスメディア「嫌い」故、情報の(勝手な)流出だと構成して、ひとまず遮断をかけてる状況なんですよ。今。 新聞一つ、NHK放送、そして民放番組をたまに1つか2つ、で数的に打ち切ってます(アホみたいな報道番組は見る時間がもったいないから(゜-゜))
http://misty8823.blog.shinobi.jp/Entry/16/   (ここで、西日本新聞と、NHK総合と、それから民放番組の一つ二つといってました)
で、私的には、

少ない情報源 → 「自己」の頭ですんなり整理 

という定式化をとって今生活送ってる(つもり)なのですが、みなさんはどんな感じですか?
境遇は違うと思いますが、情報の享受の仕方って、いろいろあると思うんですよ。
例えば理論的には、

・まったくないにひとしいほどの情報源(若しくは、情報「源」などと本人が捉えない) → なんとなく生きてる中で情報にぶちあたる

・多くの情報源 → そのまま受け取る(馬耳東風につながる可能性も含めて)
          → 整理してストックしておく 

どうですかねー?  新聞を2つ以上とってらっしゃるかたとか、いますか? どんな風にして、自分にとって重要な情報収集をしていますか?

@エンターテイメントとしての「芸術」

最近、芸術(art)とエンターテイメント(entertainment、娯楽)が一部でごっちゃになってる気がしてならない。

それは、Art側、つまり、芸術家や、それを庇護する団体・人物(patron)の問題なのかもしれない。
例えば、極端すぎる例で申し訳ないが、「魂」を売り渡した、みたいな。 アーティストとしての歴史性や自負をいったん、そういった娯楽の世界に提供する場面。

また反対に、娯楽側、「娯楽」を創出している側の問題なのかもしれない。
これまた極端な例で恐縮だが、そのだれだかわからないけど確かに娯楽世界を操る「なにもの」かが、芸術文化や芸術歴史を無理やり取りこむ。 おらおらおら、と。

こんな二分論意外にも、相互関係の問題なのかもしれない。 昔から、「芸術」と「娯楽」 はいかなる関係にあったのか。 峻別されるものだったのか、はたまたお互いになじむものだったのか。

そして、日本の今の芸術及び今の娯楽の現状は? 

何故こんな事を敢えて「問題視」したいかといえば、勘としては(だから今ちゃんと換言できてない・・・orz)以下のようなものが私からの提起としてある。

(1) 娯楽世界は今や日本に於いては、資本主義と第三次産業の多様化拡大化にともなってますます「カネとモノ」の世界になりつつあり、娯楽を娯楽として捉えられない

(2)芸術は、その担い手(=芸術家)としては、生活つまりは生きる死ぬの問題でもある。
残念ながら、今の日本の現状を見た限り、たぐいまれなる才能を持った人がたくさんいながら、評価されず、それでもアルバイトなどの低所得労働をしながら並行してその道を進む人が多い。
これは、芸術・芸術家の本質の在り方から見れば、いったいどういうことなんだろうか。


私が、生まれてから、3歳でピアノをはじめ、高2までの14年間ピアノを続け、そしてバンド活動も5年間続けてきたことと関係がある。 大学に入って専門勉強をしながらも音楽活動に身を投じて、そして切々と、どこからかいつも感じる「もやっと感」であった。 単なる個人的なそれなら特段問題はないのだが、個人的な問題としては割り切れないと感じる場面が多々あった。


こんな感じである。 これはただのエッセイだが、いつも反芻することになるだろう。

徐々に、しかし慎重に、検討してみたい。

最後に、これはれっきとした一つの「事実」であるということを、アタリマエだがア軽いことじゃないんだよ!ということを示しておく。

芸術は、その社会の諸問題をリアルに映す格好の鏡である。


このことから、実質的な考察がはじまるのかな・・・。長くなりそ・・・。

 misty @




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音楽をはじめとした、「芸術・文化」の在り方を検討して、そこから日本社会のあるべき構造を考え出していくのを目的としています!
私にとっては、新しい試みです。

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誕生日:
1989/03/19
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読書/音楽鑑賞/音楽制作/小説執筆/美術館巡り
自己紹介:
学生をやっております。
*好きなモノ・コト
自分哲学すること。
音楽を聴くこと、観ること、演ること、造ること。
映画鑑賞。静かな空間。くたびれた電車の中。美術館。
江國香織。遠藤周作。田口ランディ。

*苦手なモノ・コト
喧噪。口論。理論づくしの人。
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