せかいのみなさん、おはようございます、mistyです♪
今朝は、持病のため、具合を悪くしてしまってます。むぅ。。早く治るといいな。
次投稿は「プラマイゼロpart3」か「芸能人の「人権」part4」にするつもりだったのですが、如何せんどちらにせよかなり詳細な記述になるので笑、またコーヒーブレイクさせてください。(笑)
カテゴリは「社会問題」ですが口調はエッセイですからね!(笑)
@漢字社会の混迷について
今日朝の日付で、NHK再放送「日本戦後 漢字事件簿」というドキュメンタリーの放送(※1)があり、興味を抱いたので観た。
短い放送時間にしてはまぁまぁ悪くはないクオリティ(目線が高すぎw)だったと考えられる。
その放送内容の概要、それから私が日頃から抱いていた日本での「漢字の使い方・使われ方」の思いの蓄積、そしてそういった社会に対する私の簡潔な私見を述べてみたい。
1、
日頃から、最近特に若年層による漢字の使い方・使われ方には抵抗感というか、不快感を感じていた。
その内容はとても単純なものだ。
「ロクに書けもしねぇ漢字を軽々しくほいほいとケータイで使うなっつーの!!」
本当に、遺憾の思いである。あまりにも広範囲の若年層が同調行動を取るので、それに対して、ここにいる阿呆丸出しの大学生が、(1)手書きの文化歴史をないがしろにしている(2)自由を超えて利己的な使い方になってしまっている(3)パソコン・ケータイ等の電磁機器に内蔵されている漢字変換機能の利便性にかまけてしまっている、と短絡的に思ってしまう。
それに対して、狭きに失するといった批判をするにははあまりに酷であろう。
2、
「戦後日本 漢字事件簿」の放送では、戦後~現在の日本社会における漢字の使い方・使われ方の歴史をはじめに提示していた。
まず戦後国家による「常用漢字」の「指定(制限とも揶揄)」をとりあげ、次に60年代後半~70年代にかけて、表現の自由の拡張/個人の尊重の概念の広がりとともに、国家による漢字制限批判を随伴する東洋漢字以外のカンジ出現(例えば、「煌煌とした」「悉く」)、そして80年代~90年代、ワープロに続いてパソコンの登場による、一般人へのいわゆる「難しい漢字」の利用の普及、そして00年代、その爆発的広がりと、それに並行した形での再度の「国家による常用漢字の指定」の見直しの動き、を検討していった。
特徴的だったのは、文化庁が一般人に対して以下の意識調査を行った箇所。
・漢字を使い分けることを意識していますか?
→「いいえ」+「よく分からない」と回答した人が実に80%近くであったということ
・難しい漢字(憂鬱、五月蠅い)などを携帯メール・PCなどで使うことに特段抵抗感を感じないと答えた人の、その感じない理由
→「カッコいいから」 「文脈で(意味内容が)読み取れれば問題ないから」 「自分のアイデンティティを発揮する場でもあるから」
こうした爆発的利用の広がりに関して、困った人もいるという内容を、
1、正式に(要するに極めて合法的に)帰化を取得した在日外国人の日常・労働生活における不便さ 2、(なぜか)裁判員制度での「法律(法廷)用語に対して感じる難しさ」 などを例示(なぜに2つだけ?!と思た)して取り上げていた。
1の文脈では、とある介護福祉センターで福祉士として働く女性外国人。確かに「御粥」「石鹸」とかは読みにくいよね・・・と思った。。 2、では、「改悛」「懈怠」などなど。なんかこれに関しては、私も法学部である以上、何故か申し訳ないと思った。法律用語辞典は高いよん!
来年度追加される常用漢字としては、「挨拶」の両者(これは手書きでいけます、そない難しない!)、あとなんやったけ・・・メッチャ分からんのがあった・・・\(゜ロ\)(/ロ゜)/
3、放送に関しての私見
ごくごく端的に述べたい。
放送内容に関してはいろいろ?な部分もあったが最初に述べたとおり放送時間との関係もあるのでとやかく言わない。概要に沿って以下述べる。
まず、一般人の漢字の利用は、一概に絶対的自由と考えるべきではない。
(ア) かな世界の歴史・有効性を、一定程度軽視することにも繋がりかねない
(イ) (ア)に関連して、かな文字で表現できる幅であるにも関わらず、読むのも困難な漢字選択を過多にしてしまって、無用の混乱をきたす
(ウ) 仮にその漢字を(例:「煌煌」)使うことによってしか表現できない意味内容があると仮定する。それでも、一定の場合には(例えば公の場などで多くの人が受信者媒体となる時)、読み手の「分かりやすく享受できる自由」も考慮の要素に入れるのが公平に望ましい
以上の理由が挙げられるからである。 これらの要請からの調整を図ることが、日本漢字社会の文化面・権利面を考えるうえで一つのキーとなると私は主張する。
ここではかな文字(による表現)の見直しを、私は簡単に主張してみたい。
和歌や俳句(それらを基に置いて応用した現代の川柳、詩)などにはかな文字による見事な表現作品がいくつもある。
特段、「漢字のチカラ」に頼っていない、かな文字が発揮するかな文字らしい表現などが長い歴史・事実上の積み重ねとして日本にはたくさんある。
振り返ってみればそれは中国(唐?それより前?)からの漢字輸入から経過を過ぎて、女性の文通への参入という起点から、「かな文字」は日本独自のものとして生まれてきた。我々独自の文化形成を肯定することは、帰属意識のそれとしても充分に重要である。
現代における日本での、「紙」「画面」の上における表現言語は、漢字だけでないことは明白である(中国が一般的にそうである)。
基本的に「漢字とかな文字とカタカナ」、加えてアルファベや時たま仏独他諸外国の言語、および各サブカルチャーが産出した慣習文字などが基礎となっている。
それならば、漢字の変換入力の利便性に求めるだけより、別手法による同じ意味内容の表現は誰しでも簡単に、いくらでも思いつくはずでもある。
確かに、表現の「自由」をより尊重する方向に働かせる意味では、様々な表現媒体が多くあること、それ自体に関しては評価すべき所も多くあるだろう。
しかし、その自由を実質的に保障するという見地からは、「表現」の運用の為され方への配慮もまた同程度に慎重になされねばならない。
怪文書と多くの人が捉えかねないような表現が勝手気ままに飛び交っては、社会の取引を阻害する。
また、別な例を挙げておこう。
国際・国内を問わず、著作権法の世界などでは、例えばサンリオ社の商標のキティちゃんの、二次創作などが大きな問題となっている。いわゆる、本来のイメージからは逸脱した(キリング・キティーとか)キティを、商標権を有するサンリオに無断で自社商標としたり、または各個人ほ・法人が無断で販売・流通させたりなどである。流通の優先と相対する著作権法益、考案者の著作権侵害、商標権(イメージ)侵害等に関連する紛争・訴訟はここ数十年にわたって激しい勢いで相次でいる状況を呈している。
これが、漢字の「乱用」の現象が引き起こす「問題」にもつながりかねないと私は思う。「夜露死苦」などの表現は、教育上の問題を一義的に抱えているが、二次的にはその本来の意味内容を持つ著作への侵害行為と、一応法律的には構成できる危険を内包しているのである。
4、最後に
ちなみに、私は少なくとも正式に高校を卒業しており、とくだん国語が苦手だったという意識もない。
また、読書量が人よりも決定的に少なくはないと思う。
それでも、昨今の(特にネット世界や一部の若年層の文化に見られるコミニュケーションとしての)表現に含まれる漢字は、サパーーーーーリ分からん・読めない時がある。(笑)
「酩酊」(法律用語として使われる場面もよくある)。 高校生まででこの漢字の意味内容を答えられる割合が気になる。
「憂鬱」。 これについては、告白しておこう、今だに手で書けないしwww、やっぱり漢字そのものの画数の多さ故か、漢字にした方が「落ち込んでイライラしている状態」を的確に表せている・また表せられていると思うし、mistyは実際漢字で使ってます!笑
ただ前述したとおり、日本社会において、それぞれ「拡がった」漢字には確かに困難性はつきまとっており、それは3(ア)(イ)(ウ)などの見地から考慮した上で、その漢字の利用・運用を適時考えていくのが、妥当であろう。
以上。笑
注1・・・
http://www.nhk.or.jp/shiruraku/tue/0909.html#a3
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