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発信主義。:「抱えるくらいなら、発信【発進】せよ」 **** mistyの目に映る様々な社会現象を、考察・検討を通してグダグダ考えましょう。

フルハウスは嗤う

   

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「音楽の力はすごい!」はホントか?part3.

えーと、忘れないうちにはやく書いておきます。(笑)

既に表題の件については、検討を終えましたので。
「感情」と「論理」は、どのように在るべきか。4aの箇所で提示したことを、最後に検討して締めくくりたいと思います。
その前に、自分でも若干書いていることがところどころ粗雑だなーと思うので、今まで検討してきた内容と重複しますが整理しておきます。

5a 感情と論理。「感情論」と「理論」でもいいです。あくまで、人間の、社会における行動の原動力のそれとして語っていることに留意して下さい。かるーく、自分なりの言葉の定義をかけておきます。辞書で載っているものとは違うと思いますので。
感情・感情論とは、人間が誰でも持っているものであり(一般的にそう思われる、ということです。全てがといってるわけではありません。)、典型的には喜怒哀楽だとか、人情だとかして語られるソレです。
 論理・理論とは、これもまた人間が普遍的に備えている力であり、物事を理性によって考え、合理的・妥当な解決を導き出すものです。基本的には思考力を必要とし、主張(問題提起)・論証(理由)・結論の3つによって組み立てられるものだとします。

5b 以上の定義による限りにおいて、両者は「いかにそれが説得的・妥当であるか」で評価をされるものです。説得的とは、いかに多くの人に賛同を得られるか、妥当とは本質に近付いているものであるかということです。 たがいがたがいに人間の行動の原動力となりうるものですが、それは今まで話した通り、いくつかの重要な点において性質を異にしています。幾つか列挙しておきます。
1、まず、変化性に富んでいるか、富んでいないか。感情は移ろいやすいものであり、反対に理論(理性)はそうそう簡単に動くものではありません。 評価としては、変化に富んでいるということは、機転が利く分確定性に欠けるということです。変化に富まないことは、機転は効きにくい反面、安定性を備えているということです。
2、上ではどちらも人が普遍的に持つものだと便宜上定義しましたが、実は違うと考えられます。というのは、脳の発達の具合によって両者の成熟度が異なるからです。脳の発達は人間の成長とリンクしてます。幼児~子供は、物事の決定・行動に於いて感情が働く場面が多く、いわゆる「思考力」というのは、先天的に備わっている理性に「勉強」によって磨きをかけ、時間をかけることで成熟するものでしょう。
3、2と関連しますが、時間ーもう少しスケールの小さいーのかかり方です。基本的には、感情はパッと湧くものであり、理論は精密さが求められる場面が多いが故にある程度の時間timeがかかるものと考えられます。もっとも前者にしても、瞬間的に嬉しいだとか悲しいだとか感じても、それがある行動の原動力として備わるかどうかはまた別の問題であり、その意味においては時間がほとんどかからないということではありません。あくまで一般的に、感情によって組み立てる方が早く、理性を発揮して組み立てる方が時間がかかりやすいということです。

5c さて、3と4b以下で、この感情と論理(理論)の功罪について検討をしました。急ぎですが、問題提起に対する、考えられる手段を示しておきます。
(あ)行動の原動力を、「感情・感情論」に置く。
(い)行動の原動力を、「論理・理論」に置く。
以上の2つです。しかし、もうお分かりだと思います。どちらも妥当ではありません。はしょって簡単に論証します。
(あ)・・・ 4章で見たように、感情の「罪」の面として、1、行動の結果がマイナスに働く危機を孕んでいる2、感情だけに頼ると、時に機能不全に陥る3、移ろいやすく、確定性・決定性を欠くといったものがあります。もちろん、裏返しの「功」の面が奏して、結果・解決への道を妥当なものにしていくという可能性も十分にあります。組み体操の直前の掛け声が本当に仲間の「団結心」とやらに響いて、練習の時はうまくいかなかった演技でさえも大成功を迎えた、ということはあると思います。
 ただそれはあくまで「可能性も十分に考えられる」というだけの話であり、マイナスな結果を招くこともまた十分に考えられるのであって、その意味において全く妥当ではありません。
(い)・・・理論は、現実社会を考え見れば、支配的な立場をとっています。ただそれだけです。それが真にーあんまりこんな言葉は濫用したくないのですがー問題解決のファクターとして機能しているかどうかは甚だ疑問です。
理論の国、アメリカ。これは「国家の品格」の著作者として知られる藤原さん【※1】がそれにおいて使っている用語なのですが、そもそもこの論理的な人種結合体であるアメリカ合衆国が00年代に引き起こした、イラク戦争だとかサブプライムローン問題だとかは、びっくりとしかいいようがありません。
 また、2章で触れましたが、日本の裁判所ー権威高いとのイメージも強くある最高裁判所も当然に含めてーは、訴訟に於いて判決を言い渡す時、判決文を読みあげます。その判決文は、法的三段論法(規範定立→事実への当てはめ→結論)に基づいています。しかし現実は、最近どうやらマスメディアがこぞって関心を示したように思われる報道のように、必ずしも妥当な結果を出し続けているというわけではないのです。足利冤罪事件。当時の最高裁判所長官は、極めて妥当な審理であった、と阿呆の報道記者に語っていました。しかしそれは、ある程度に於いて本当です。最高裁判所は下級審が示した事実認定に基づいてしか審理をすることができないのですから。
ただ、結論・結果としては、僕も思うのですが、相当程度誤認の可能性が高いなぁと思っても、「冤罪」という残酷・マイナスな結果が国家レヴェルによって起きているのです。別に冤罪事件だけに限りません。しかしここでは司法への懐疑の話は省かせて頂きます。だって、「司法への懐疑」っていうタイトルはテーマが大きすぎて、一生かかっても論文書ききれそうにありませんもん。(笑)

5d 以上のように、(あ)も(い)も、アウトでした。そして、考えられる次の手法。
(う)感情と理論を巧く使い分ける

はい、いわゆる折衷説とかいわれるようなお話ですね。折衷なんていうと聞こえがいいものの、これじゃあ何の解決にもなりません。
焦点は、「どうやって巧く」使い分けるのか、といった所に移るわけです。


思うに、今まで述べてきたとおり、論理は確定性・根を張っているという所に一つのadvantageがあります。殊に近代西洋から受け継がれているその様々な思考法は、それなりにー少なくとも300年間くらいはー時間をかけられているのであり、いわゆる「重要人物」とよばれるような人々によって様々に運用・検討され、成熟してきました。元来精密さを求められるが故に理性を軸にして思考して構成されるものですから、それが歴史的に見てある程度の長さをもってきたということは、その成熟さは評価していいでしょう。「まぁ、300年間途切れることなく深く考えられてきたモノなら、そらいったんその力は認めてみるのもいいかもな」くらいです。

1、まず、解決を導き出すにあたっての出発点は、論理の場に設定します。感情論ではありません。「絶対大丈夫!」呪文、「音楽の力はすごい!」等の爆発的即効力には、制限をかけるべきだからです。はじめがグラついていると、ツイスターは永遠に完成しません。この出発点としての論理を、なんとなく思い付きで例示します。
(環境汚染が最近大問題だ。解決としてはどうすればいいだろうか。)
ここで、まず環境汚染の引き金となっている要素を抽出することはとても大事な作業だと思います。
(昨今の環境汚染の要因は、、一つは森林伐採か。
     →生態系への悪影響→酸素減少→火災肥大化 → 大気汚染
森林伐採 →森林伐採地域への社会的損失・貧困→ 更なる森林伐採
     →土壌汚染 → 砂漠化現象
     →「焼畑」等によるCO2増加 →酸性雨・二次災害
     →・・・(まだまだありますが地理の記憶がorz)
まだあるよな・・・。 あ、発展途上国の第二次産業化もあるなぁ・・)

そして抽出した後、ストップの方法を論理的に思考します。
主張したいのは、出発点としての理論は、その決定性をできる限り高く高く上げておくことです。 過程の段階で、新たな問題が浮上しても対応できる素材が備わっている可能性が高くなるからです。

過程の段階では、論理の実践に、感情論を加えるのが妥当だと考えられます。
往々にして、理論・論理は、し尽くされてしまうとそれでハイ終わりという感じが否めません。何の為の理論なのでしょうか。問題解決としてのそれでなければ、それは最早理論という名に相応しいとは到底言えない、と私は思います。 時間がかかってコストが合わないのでしょうか、はたまた時間がかかりすぎて本来の目的を忘れるのでしょうか。それなら、コストがなるべく減るような議論法等をまた別個に検討するのが筋ですよね。アメリカでは「議論方法」的な講義が、各大学に普通に設置されているそうです。なんで日本にあまりないんでしょうかね(ウチの大学にはそれっぽいものはあっても、少人数制のマイナー形式をとっていました)。

話が逸れましたが、とにかくハイ終わりという事態をなるべく防がなくてはなりません。さっきも言ったようにコスト消費が甚だしい等でモチベーションが低下するといった現象が起きるのであれば、そこは感情論の出番です。何の為に理論を応用していっているのか、それは・・・! こんなビックリマークがつくぐらいの感情論で、また人々の心に灯をともせばいいわけです。感情の良点、変化性に富むが故になるたけプラスの感情が働いて妥当な結果(エンジンを再起動する、といった意味合いでの)を得ようと模索するのが重要であると思われます。

そして結論に至る最終段階の一歩前では、両者それぞれからもう一度検討し尽くして見るのがいいと思います。論理がいかに成功的であっても、妥当な感情が伴わなければ、より普遍的な”暫定的答え”にはならない。反対に、いかにプラスな感情があったとしても、論理に少しでも破綻があれば地盤は崩れてしまう。

結論を出す段階では、論理をベースにしていくのが妥当であると考えられます。感情論の機能不全の如き、予期し得ない現象を招く思考法ではマズいからです。

6 以上が、いい加減もいい所、感情と理論はどのようにして応用されるべきか、の段階的な検討でした。いい加減もいい所です。5dで提示した私の考えは、恐らく考えている以上に「考え」になっていません。
煎じつめれば、恐らく感情のもっと具体的な定義、理論の定義、そして両者の関係性をもっと深く検討しないと上のような答えでは全然説得力が無いと思います。

それでも、科学万能主義でもない、感情一本でもない、人間らしい、社会問題への妥当な解決への導き方として、もう一度皆さんに考えてもらえる契機にでもなっていただければ、本稿は大成功と言った所でしょう。だってこれ、全然論述じゃないし。(笑) はじめはそのつもりだったんですが、書いている内にこれテーマでかすぎ!となって、もうエッセイみたいな語り口でいくしかないなと思ったんでえすもの。

最後に、「音楽の力はすごい!」 私は、この言葉は拙な表現でいえば、信念としてのそれを支持します。まがいなりにもバンド活動等を5年近くやっていて、それを肌に感じるからです。

しかし、社会問題への解決方法の切り口としては、恐らく相当力に乏しいと思います。一つは、音楽は未だエンターテイメントとしてカテゴライズされ、社会の世界に出てくるファクターとしてはあまり注目されていないと感じるからです。ハッキリ言うと、僕は、音楽はどんどんそのプロパティを広げ続け、いろんな場面ーそれこそ「科学」のようにーで活かされる可能性がいっぱいあると考えています。それについてはまた、この場で発信するかもしれません。 しかし現実は、まだまだですね。

政治・経済、様々の世界に於いて、登場するファクターは今や多様化している。そこに、「音楽」という一つの芸術の大胆な登場・活躍を、私は切に願ってます。むしろそうなるように活動していきたいとさえ思います。

「難しい時代」だからこそ、なんでしょうかね。ちなみに、この言葉、大っきらいです。(笑) 時代に難しいも簡単もくそもあるかい!!!

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私にとっては、新しい試みです。

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男性
誕生日:
1989/03/19
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学生
趣味:
読書/音楽鑑賞/音楽制作/小説執筆/美術館巡り
自己紹介:
学生をやっております。
*好きなモノ・コト
自分哲学すること。
音楽を聴くこと、観ること、演ること、造ること。
映画鑑賞。静かな空間。くたびれた電車の中。美術館。
江國香織。遠藤周作。田口ランディ。

*苦手なモノ・コト
喧噪。口論。理論づくしの人。
早起き。健康的な生活。
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