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発信主義。:「抱えるくらいなら、発信【発進】せよ」 **** mistyの目に映る様々な社会現象を、考察・検討を通してグダグダ考えましょう。

フルハウスは嗤う

   

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「ブランドを示す、ということ」の再思考


*******
こんばんは、せかいのみなさま、mistyです。
「迷惑メール防止対策の法整備とその国の今までの対応への両方へのギモン」の続く前に、またコーヒーブレイクです笑

どんだけコーヒーブレイクやってんだ(笑)
まぁしかし上の迷惑メールのトピックは個人的にも相当シリアスに問題を捉えてるので、おそらく続きもそんなにしない内に投稿させます。というかします、中途半端なトコできったし。

*********
(コーヒーブレイクに入る前の日記)
この1週間体調面的にもかなり弱っていたんですよ。 でも、久しぶりにバイトに入って、そしたらまだ不安定になることもあるにせよ何とか店に相当の支障も来すことなく働けました!!( ^)o(^ )
大将から、「家にジッとこもるってのも体に悪いから、まぁ少々キツくっても大学の図書館に行って、疲れたら辺り歩いて太陽の光なり浴びるなりして、あとは飯をたんと食え!」 と暖かい言葉。。。。あうぅっぅ・・・。(:_;)大将、本当にありがとうございます・・・涙
はやめに上がらせてもらってその後、「This Is It」を先輩と観ることに☆ 中洲200911132056001.jpgの東洋劇場、はじめて行きました!!
 

館内の写真♪おもわず写メ♪www



200911132056000.jpg
東洋劇場に一歩立ち入ると、そこは待ってましたレトロの世界(*^。^*) 古時計一つとっても19世紀末に作られたシロモノだそうで、オーラも大変良い。とってもオシャレな雰囲気でした。
博多が現代化に流される傍ら、未だに守り続けている、「古き善き日本」の一つの姿・形。 本当に、大切なことだと思う。


しかし、なんとこともあろうにこの私、
人生史上初、スクリーンにて1時間爆睡という事態をやらかしてしまったのであった(爆)・・・親父にも殴られたことないのに!(それは何回もあるけど)
故に「This Is It」の内容が頭に残っていない・・・むちゃくちゃ悔しいというかむちゃくちゃ空しい。 東洋劇場のあまりの心地よい椅子のせいか、マイケルジャクソンのビートの心地よさ故か。
なんか知らんけど、何が何でももう一回、絶対観に行ってやるという熱気でいっぱいである。笑

**************

「ブランドを示す、ということ」の再思考
前回、「ブランドを示す、ということ」というエッセイで、いわゆる「ブランドマーク」を身に(この場合、物理的身体にという意味)つけることの意義、ということのテーマというか、それに対するちょっとした批判をした。

前回の記事内容については以下参照。
http://misty8823.blog.shinobi.jp/Entry/24/

さて、これに対して、コメント欄を見れば分かるように、「フルハウスの嗤い」開設以来はじめて記事内容に対する意見らしい意見があった。めちゃくちゃうれしいどころではない!笑

その指摘内には(そこのアナタ、ごめんねww これを記事にするに至った理由を書くには避けられんけもうちょっとガマンしてくらはい!不適切だったら内容表現変えます<゜)))彡)、反論・ギロンという形では提出なされていないものの一部分とても核をついた鋭いものがあった。

僕の記述内容の一部に対する、「ステレオタイプ」という見方・定式化である。
(ちなみに、指摘を意見として敢えて(笑)取り上げた場合、それ以外の部分は僕から言わせれば全く見当外れというか否定の方向に働かせる文章形式にはなっていなかったので、本稿からは対象外とする。)

そうなのだ、確かに僕の考えはある意味「ステレオタイプ」なのだ。
その意味内容を、もう少し明確化させることによって、私が提示する「ブランドマークの意義」の射程を改めて思考して、簡単に提示したい。
ゆえに、エッセイから水準をちょっとあげるため、時事問題にカテゴライズさせた。  

個人名を匿名性が付着している形とはいえそれを多々取り上げるのは望ましくないので、以下、述べていく。


****************************
としようとしたのですが、スミマセン、疲れと眠気により、ここでストップかけておきますww

****************************
しかし同日中、僕が映画館で大爆睡したせいかまだちょっと余力があるので、やはり少し続けます笑

1、前提

要するに、このブランドを身に付ける云々で僕があーだこーだふにゃふや考えている裏には、

「南北問題」という極めてクラシカル(ゆえにstereotype=定型)な、しかしだからこそ同時的に大変重要でもある問題がある。

※ちなみに、中卒以上の方で「南北問題」の意味内容を簡潔にでもピンと分からない人なんていないと思っていますが、万が一おられたらそれは大変危険です。 これからの社会問題にぶちあたっていく場面で、南北問題が抱える諸問題は避けて通れないですから!

ことに経済面・界においてのそれは、窮極的に貧困層VS富裕層、の対立の問題に置き換えられる。あくまでも一般的概念としてのそれである。

経済世界においては、近代初期からほんの数年前まで、資本主義が支配的な立場をとっていた。しかし、資本主義が妥当する国・地域の中でも、そこにレッセフェールなどの理念を掲げてあてはめなどしたら実質的な経済格差がますます広がってしまったという歴史背景もあったということを忘れてはならない。

19世紀中葉から、おおよその帝国主義を採択していた近代西洋諸国(英・仏・独・西などが典型例)は経済政策に於いても資本主義を掲げ、そして未開の地域へ植民を進めていった。
20世紀の2つの世界大戦を経験した後、世界は3つに分類された。一つは民主主義・資本主義がひとつのメルクマークとなる「西」側陣営、突出してWW1後華々しく登場した、そして西側陣営に時に対抗するものとしての「東」陣営、そしてインドや中東・アフリカ諸国をはじめとする(帝国主義からの断絶を宣言した)自国民決定主義に裏付けられた「第三世界」の3つである。

いつのころからか、先進国と発展途上国における一般的な経済格差が顕在化しはじめたのは、筆者の記憶力の無さゆえ今思い出せないが、とりあえずそうした世界が3つに分かれた頃以降とここでは定義する。

しかしこの経済格差は、先進国と発展途上国との間に様々な亀裂をもたらすに充分だったのである。
私はことに、民族思想や宗教観の大きな違い・対立もあいまってこの亀裂をさらにややこしくして、両者にとってなかなか解消し得ない大きな「壁」を形成していると考えている。
今でもこの全体としての南北問題を是正・解決しようと、多角的な視点から挑戦が行われてきているのが、その現在に至るまでの効果はやはり相対的に厳しい。解決としては程遠い。

さて、世界的な規模でみたときに、経済格差(貧富差)の問題はこのような形で提出されることとなる。
それは各国が自民族主義を経てナショナリズム(自分達の国のことは、その国内で国民・人民などの社会的構成員のみが主体となって政治経済を決定していこうとする理念)を採択した上でのことである。しかし、このナショナリズムは国それぞれの尊重を認める方向ではきわめて合理的なものであり、それ自体に大きな罪はなく、むしろある地域がある地域を一方的に啓蒙支配していた(帝国主義)時代もあったという歴史観を踏まえれば、それからの大きな脱却という意味合いに於いても、それは評価されるべき事柄であった。
観念的にはそれぞれの国に、主権がそれぞれ平等に与えられたのである。

しかし現実に至っては、戦後の時点での物的・文化的基盤の差異が各国間に於いて前提として在ったのは言うまでもない。しかしナショナリズムを各国が推し進めると、当然にスタートも違えば各国が掲げる政治や経済の理念も違うのだから、結果として経済的成果が大きく異なることも、これまた論理必然的に当たり前と言えば当たり前である。
アメリカもしくはソ連をはじめとする(第一・第ニ世界の主導者である)文字通りの「大国」が戦後から10,20年して気付いたのはそういうことであった。
また、第三世界の(インドなどは農業工業資源が豊富だったことなどもあり例外かもしれない)国側も、この各国間における貧富の差はやはりおかしい、なんとか是正したいと自ずから希求をしたのである。

しかし、いわゆる「相互の歩みより」は、前述したこともあり、その進展はなかなか望めなかった。
結果としては、この世界規模における現実としての貧富差は、事実のそれとしてあり、「なんとかしたいんだけれどもなかなかなんともならない・直ぐには、一義的に解決できない」問題として提起される形となっている。

2、本論

さて、こうした前提を踏まえて、改めてブランドの存在、その出現がもたらす影響を考えてもらいたい。
基本的にブランド(brand)とは、ある定義によると「特に、名の通った銘柄」(広辞苑[第六版]、2008,岩波)である。
銘柄に於いて名が通るということは、
1、歴史慣習上多くの人から昔から支持されてきている物
2、経済面においてその顧客を多く獲得している物

などが考えられそうである。ことに、2の意味におけるブランドは、先進国における資本主義由来の物が多くを占めていそうである。
確かに、自国内・同様概念地域内で、資本主義を背景として自ら勝ち取った社会的地位を声高にあげることには、なんの問題もない。それこそ、資本主義制度が事後的に認めることとなった結果の一つでもあるからである。

しかし、現代におけるグローバリゼーションの流れを無視してはならない。 ソビエト連邦=超大型社会主義国の崩壊後も、アメリカは世界システムのそれとして支配的な立場をとってきたかのように思えたが、00年代に入り、自国内に於ける深刻な経済問題を抱えてしまったことを等に、もはやアメリカ独立支配体制の構造をこれからの世界にあてはめるのは無理となった。 アメリカが以前のような強さを取り戻せていない中、他国のそれぞれの強さをもって、全世界各国に共通となっている問題をそれぞれ各国の協調の視点から解決していこうという理念型がグロバーリゼンーションの一つの帰結としての考えである。それはナショナリズムからの一歩進化・前進した考え・理念だと評価されるべきであると、私は主張したい。

そうした動きを見る中、古典的なブランド志向主義を放任するのは全く望ましくない。もうそれは「過ぎた栄光」「一度冷たく見るべき考え」だとしていかないと、いつまでたっても世界が提起した世界の問題は解決し得ない。

世界問題を、解決しなけれればならない、というこう漠然とした主張には、それがあまりに大きすぎるテーマ設定のせいか、「なぜそうしなければならないのか」の立証部分については争いが激しくあり、確かにその根拠づけを見誤ると、間違った方向にいきかねないだろう。それでもこの考えが多くの人に支持される窮極の理由の一つには、

「世界問題によって世界そのものが物理的・観念的に崩壊してしまうことだけはなんとしてでも避けたい」

というのがあると考えられる。それは妥当であろう。 個人が生きる権利を主張するのは、「死にたくない権利を持ってる故だ」のと同じくらいの、確定である。

このような観念を踏まえ、ブランド志向主義(者)に対しては、私は以下の要請をしたい。

1、前出の通り、クラシカルなそれは「過ぎた栄光」としていったん止める
2、一連の南北問題とグラーバル化が提起する問題を解決する上で有効的に働く、新たなブランド志向主義の提唱・実践

例えば、ヴォルヴィック社。ヴォルヴィック社が販売するミネラルウォーターは、ブランドとしてのステータスを占めている。
しかし、ヴォルヴィックの水が他社の商品よりもなぜ一段階高く価格設定されているか。それは当然、品質へのこだわりの結果でもあるのだが、実は、アメリカがサブプライムローン問題を抱える数年前から、そのヴォルヴィック社が得た利益の一部は、ユニセフを通して、アフリカ地域を始めとする発展途上国の貧困層の事業資金に回されているということをご存知であろうか。
知らずに、買って飲んでいた方はHPへGO!!笑 Volvic Official Site

近年はヴォルヴィック社などを見習って、日本でも、利益の一部を寄付金として貧困地域の活性化としての資金に回すという形態を持つ企業がかなり増えたが、それは前進的にヴォルヴィック社などの活動があって故だということを忘れてはならないだろう。

ほんの一例かもしれないが、これは、新たなブランド志向主義と定義づけてもいいんじゃないかと私は思っている。

能力故、他にどんなブランドに対する志向の裏があったりするのか観念できないのだが、社会に生きる我々としてはそういった大きな問題が抱えているということを意識しつつ我々らしく生きてみる、というのも悪くはないであろう。
ちなみにこういった文脈は時たま、物質主義への批判としてしばしば捉えられる。
ハッキリいって、私自身は物質主義に対して一概には否定の評価をし得ないので、それが正しいのか正しくないのかはよく分からない。 ただ、確かに、思想学からみた「物質主義批判」には、これとリンクする箇所も多々あるのかもしれない。しかし本稿では思想学についてのそれには思考を及ばさせなかったので、省く。

3、結論・結びにかえて

言うまでもなく、つまりは個人主義であってこそすれど利己主義に走るな、というメッセージである。両者は同じようであってマターク違う。

日本は政権交代を選択し、新たに国際世界に於いて一定程度のリーダーシップをとることを掲げた。そんな時代だからこそかもしれない。 変なエリートづら、とすり替えられるとこれまた一番面倒なのであるが、そうではなくて国際社会に強く貢献していける国民としての我々を考える場合、ある程度の責任感と自信を持って、われわれ一人ひとりがそういった社会に身を投じて生きていくのは、とてもカッコいいし、意義に溢れている。

僕の周りは幸いにも、賢くてそうして同時に優しいやつばかりである。南北問題が抱える諸問題に、いずれはそれと直面しなければならないような友達ばっかである(オレはそんな所まで上り詰めるかほとほと分からない・・・orz)。

ひとつ、身の回りにおける小さな事柄を取り上げて、そこから浮かび上がってくる、南北問題が本来的に抱える深い諸問題や、グローバル化の流れを提示して、それに対してどう私たちはあるべきか、簡単に一つの示唆を述べた。

日本の発展を考えながら人生を歩む際にも、世界情勢を考えながら人生を歩む際にも、

さぁあなたはどう生きる? <゜)))彡

とだけ、メッセージを残して本ひとまず筆を下ろすこととする。


でわでわ、ご意見ご感想ご批判、いつでもどこでもお待ちしております♪

misty @

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無題

  • by あふひ
  • 2009/11/15(Sun)00:32
  • Edit
せっかく読んだので、“敢えて”突っ込んでみようかなと思う(笑)
ちなみに、文章自体が長くて固めだったので、ざざっと読んだ程度だからこそ理解できてないんじゃないか!と思うような指摘をしてしまうかもしれないが・・・まぁそこはガキに解説してやろうくらいの気持ちでお答え下さいww

1)南北問題とブランドの関連性について
そもそも今回問題にされていたブランド志向と南北問題はどういった点でリンクがあるのでしょうか?
既出の日記より引用開始。
>反対に、決して手の届かない世界だとやけになり、富裕層のくそくらえ! となって、富裕層と貧困層の対立が、マスマス深まってしまう
引用終了。
この点でしょうか??

2)グローバリゼーションについて
流れを考えろ!という提唱が途中あったと思うんです。
本論とあまり関係ないかもしれませんが、グローバリゼーションをmistyはどのように認識・定義していますか?
(ちなみに私は「アメリカ化」のことだ、と捉えていますw)

ちょりーっす!笑

  • by misty
  • 2009/11/15(Sun)02:40
  • Edit
あんがとさん♪♪
早速。
1について
ご指摘の通りです。もう少し評価して言うなら、この世界各国の均質化が深まる中、資本主義を背景とした地域においての富裕層が、ブランド志向を堅持する場面は多々見れられます(私は/僕は、こんなリッチrichな生活を獲得したぜよ的)。 しかしそれは「時として」、毎日の生活でさえもがろくに成り立たない国民・民族も人口数的は圧倒的に多く、加えて南北問題等をバックグラウンドにおいた意識面での「富裕層VS貧困層」、という対立もあいまって、非常によろしくないんじゃないかなと。
端的に言うと、アナタ、圧政や貧困に生きる子ドモ達の気持ちを、頭がいいのに想像したことしないのかい?と、純粋な疑問・批判をぶつけてみたくなるわけです。
もう少し学問的に言うと、富裕層のそういった一連の行動が、より接近化したこの世界において、別の文化層・地域層に影響を及ぼしやすくなっているという点を改めて考慮するには無意味ではない、という主張です。

2、グローバル化について
私は、アメリカナイゼーションとそれは峻別します。前者は文字通り、アメリカの政治・経済体制、文化、産業などを輸入してその地域で実施してみるといったものだと思ってます。
グローバリゼーションないしグローバル化は、簡単に言うと世界がより文化的にも政治的にも経済的にも接近したちゅうことです。 
交通面一つとっても、ライト兄弟の発明以来交通機関の飛躍的な発展によって本当に「狭くなった」世界になりましたよね♪ 韓国が、ご近所お隣さんと思えるくらいまでに。
さて、その具体的な内容としては、接近したという歴史的経緯もあるし、加えて接近したからこそそこで考えていく問題があり、それを強調して解決していこうや、ということです。
現行体制では、アメリカの影響力は格段にこの00年代で落ちました。
2010年代以降は、いわゆる「百家争鳴」のような、各国間のパワーがうまく作用して共同問題(世界的規模の環境問題、経済問題、政治対立問題etc)に取り組みあっていこうという大枠の概念が、グローバル化の考えの一つの帰結として観念しえるだろう、ということです。
おk?( ^)o(^ ) 以上、説明でした!

そうそう、なんかmisty文章は一部から「回りくどい」って言われるんだけど、社会問題記事はむしろシンプル・短絡過ぎてもOUT!でしょと思うのですよ・・・。エッセイならいいのですが。
長さ的には法学政治学系の論文の100分の1にもなってないし、まぁ長さという「形式面」だけ見たら社会を考えよー的blog記事ってことですw

ご意見どうぞどうぞー\(゜ロ\)(/ロ゜)/

めんご!

  • by misty
  • 2009/11/15(Sun)02:49
  • Edit
>1について
ご指摘の通りです。もう少し「評価」して言うなら、

評価じゃなくて、「詳細」でした汗 意味分からんことになてまう\(゜ロ\)(/ロ゜)/ 文章ってちょっとしたさじ加減で意味内容変わるけん難しいねwww

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誕生日:
1989/03/19
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読書/音楽鑑賞/音楽制作/小説執筆/美術館巡り
自己紹介:
学生をやっております。
*好きなモノ・コト
自分哲学すること。
音楽を聴くこと、観ること、演ること、造ること。
映画鑑賞。静かな空間。くたびれた電車の中。美術館。
江國香織。遠藤周作。田口ランディ。

*苦手なモノ・コト
喧噪。口論。理論づくしの人。
早起き。健康的な生活。
デスメタル。精神性のない形骸的ロック。


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