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発信主義。:「抱えるくらいなら、発信【発進】せよ」 **** mistyの目に映る様々な社会現象を、考察・検討を通してグダグダ考えましょう。

フルハウスは嗤う

   

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傷を、洗い流すか、それとも見守るか。


こんばんは、mistyです。
大変無茶苦茶なお時間でございます。(笑) 理由は色々とあるのですが、まぁ個人的な要因が深いです。
何が個人的かって、、

思索にふけること。(笑)

さて、今回は、きわめて短い疑問を投げかけますが、内容に関しては正直ものすごくリアクションを求めています。
人それぞれが、どういった価値観に立脚しているか。それを知りたいがために、この記事を書いてるにすぎないところもあります。時間のある方はコメント等残していってくださいな($・・)/~~~

訊ねたいのは、これです。

人の「傷」に触れたとき、積極的に洗い流そうとするか、それとも黙って優しく見守るか?

結論から言うと、私は前者の立場に属しています。それにはいろんな理由がありますが、後で述べます。

この訊ね方も少々どうよというところはあると思いますが、そこはご勘弁下さいまし。
この訊ね方で、ずっっっっと生まれてこのかた自らに対して反芻してきたからです。
(そもそも質問の立て方がおかしいよ、という意見は、それがなぜおかしいのかもゆってくれるとわかりやすいです。)

前提としては、私は、まず1誰にしも多かれ少なかれ、いけとしいけるもの、まぁ人間でいいや、人間には目に見えない各々の「傷」を抱えていると思っています。
 ここでの「傷」のとらえ方は、ちょっと変わったものですが、まぁ、ざっくり定義しておくと、当人が抱える大変にpersonalなマイナス要素のことで、非・社会的なものです。
たとえば家族に裏切られただとか、仕事で大失敗をしただとか、友達関係がうまくいかない、理念に中々達成しえない、恋愛がうまくいかないetc。

2そしてそのいろんな「傷」を受けて落ち込んだりそこから立ち上がったりして、人は成長・生きていくというカテゴライズです。つまり「傷」はそれ自体がマイマスですが、未来に向かって倍以上のプラス効果をも生み出す原動力になるもの、です。

そして、そんなときに、「傷を受けた状態」から立ち直る・復活する(こうゆうときに大きな成長が伴ったりする)時、まず往々にしてやるのが、

心の開けた人に対する悩み相談
とかじゃないですか?(●^o^●) 他愛のない話からはじまって、ちょっとしたところで切り出す。「あのさー最近おれさー」
そして、なんとなく救われたような気持ちになるとする。復活やーみたいな。
んでたいがい、逆の立場で今度は自分がその相手をしてくれた人の聞き手側・アドヴァイス側に回ることも多いじゃないですか(違いますか?笑)。

さて、この時ですよ。 私は、傷を「洗い流す」といった手法を基本的にとりたがります。
いわゆる、おせっかいというやつです。 まず、内証的に語ってもらうことで、どこに傷があるのか、どれくらいの大きさなのかをハッキリさせる。んで、そのあとに、どうやったらそれが治癒するか、または回復の方向に向かっていくか、一緒に考える。
今までずっとそうやってきました。
なぜか。
自分も相手も第三者も、みんな共通項としてのそれがあると思っているからです(経験則による類似性)。恋愛話なんかは、自分も恋愛経験あるにはあるから笑笑、わかる範囲で聞き手にまわる。 あ、こいつのいってるこれは、こういうことなんじゃないか、じゃあ、それに対してはこうしてみたり、或いはまた別の方法があったり、こうしてみれば?などの問いかけを応じてしたりもします。もちろん話を聞くだけに回る時にもあるにはあるのですが、それでも「傷」の確定・明確化「作業」にはかなり積極的です。「なんで?なんで?どんな風に?」といった、押しつけがましい時もある。
気が付いたら、そんな風に積極的な動作に走っている自分がいる。 立ち止まらない。立ち止まれない。それが、根本的に悪いのかよいのか、気が付いてみたら自分でもサッパリわからない。

前者の立場は、ただのおせっかいなのか? 時としてうっとおしい、「善意の押しつけ」なのか?
社会にこの問いの正しい答えはないが、哲学領域では常に反芻される問題でもある。

僕は、「人間だれしも弱いところがある」、という意識に強く立脚している。だからこそ、弱さ≒傷を故意に隠したり恥じたりする必要は全くないと思っている。 だれしもがおおかれすくなかれ共有・経験・有しているものだから、時には絆創膏取っ払って、その傷を見せてよ。そんな感じです。。


人を治すのは、悪いことではありません。

赤字のは、田口ランディ著・小説「キュア cure」のキャッチコピーです。 はじめてこのキャッチコピーをみたときはめちゃめちゃゾッとした。 /
・・・・・・・え?? みたいな。(゜-゜)

さあ、法はこの領域にはあまり介入しない。心理学も、「時と場合に応じて」という答えを提示する論者もいる、違う、ここで知りたいのは、他人の痛みに触れた時何故人はその行為をとり、その行為は本質的にどんなものなのか。 人情とか、個人の価値観とか思想とか、そんなものが調整原理として働いている、ととらえることができる。
あなたは、どうしてますか?また、それはなぜですか?(*´∇`)

misty @

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無題

  • by ミスティ
  • 2009/11/28(Sat)11:22
  • Edit
ふにゃふにゃ。
そうそう、記述の通り、中間項(時と場合によるな、的)は避けて、振り返ってみた時、どういう行為・行動が一番経験上多いか、でお願いします(´∀`)
2つの選択肢しか提示しとないよーにみえるけども、他の選択肢もいっぱいあると思うので、それでおねがいします( ̄~ ̄)ξ

無題

  • by ネズミ
  • 2009/11/28(Sat)21:44
  • Edit
うっ…ほんとに時と場合と相手によるのにな…(笑

まずこの議論の前提としては、傷を受けて、立ち直ろうと動くことができるようになった状態なんですよね?
それなら、自分から傷を洗い流しに行くことはせず、傷を負った本人が洗い流すように手を貸すというスタンスになります。
以下に詳しく・・・

私は、積極的にアドバイスすることは避けます。確かに、経験である程度分かることもあるけど、結局のところ言葉で伝えるには限界があるから。感覚の絶対的共有はありえないから。類似にとどまる以上、何かのはずみで傷をえぐりかねない。
だから、話したいだけ話させ、そして共感を伝える(なるほどとか分かるよその気持ちとか)。その上で、もしアドバイスできることがあったとしたら、直接的にアドバイスと分かるアドバイスはしない。できるだけその人が考えてそこにたどりつくように仕向ける。例えば、自分の経験として(私も前にこんなことがあってね的な)言ったり、別の切り口を見せてみたり(何故そんなこと言ったんだろうねとか、もしかしたらこうかも、みたいな)とか。
ミスティが本文中で言ってますが、話すだけで救われるって効果、これが根本的に重要なんだと思います。
(まぁ実際のところ、深い傷を負った時って、傷の存在自体を自分も忘れようとするし、誰かに言うこともできないものだと思う…これは経験上なのですが。あの時は、一人で泣いて泣いて、熱出して、駆けつけて来てくれた母にようやく打ち明けた。それからようやく、カウンセリングを受ける気が出て来たものでした)
他人に話すという行為自体で気持ちを整理し、何がどうして辛いのか、どうすべきか見えてくる。本文中の傷の確定・明確化という部分ですが、そこには、支えとなることはともかく、基本的に他人が介入すべきじゃないと思うんです。
話しかけたりとかの話しやすい雰囲気づくりはするし、立ち上がろうとする途中で辛いことは聞く。でも傷との折り合いは自分でつける。
だから結論として言えば、私は、傷を洗い流す手伝いをするってところでしょうか。

人間は誰しも弱いところがある。そしてそれは恥ずべきいことではない。それには大いに賛同です。だから助けあい、支えあう。でもそのことと、弱さや傷を見せることとは、別問題なのではないでしょうかね?私はそう思います。


こんな感じです。中間項っぽいですが、どうでしょう(笑
話の核心を得てなかったらごめんなさい、そしたらどうぞ削除して構いませんのでw

Re:無題

  • by misty
  • 2009/11/28 23:09
ネズミさん
ふむふむ('∀'●) 前提もあってますよ(^O^)お互いある程度の親密(信頼)関係状態の程度にあるとき、に更に射程はせばまるかな。ありがとね、また話そうよ@
このテーゼは、多くのひとが毎日っていいくらいの体験に向かうからこそ、多分いろんな価値観にりっしたやり方っていうものがある程度抽象化できると思ったんよ。 「時と場合」ってこれほど使い勝手がよくてわけわからん言葉は少なくともアカデミズムからは遠ざかるからね…
「一見極めて明白に」「公共の福祉に」「特段の事情のない限り」
2ゼミの判例研究を通してこんな空ボックス用語はホント嫌いになってしまた(笑)

無題

  • by あふひ
  • 2009/11/28(Sat)23:03
  • Edit
おや、既にコメントついてるがまぁ気にせず書くわ。
私なりの意見をドストレートにまいりますw

1)「傷を見せていいよ」と「傷を見せろ」は違うのではないか。
ニュアンスの違いわかりますよね?
いつでも傷を見せていいよ、そのときは何か力になるよと、ともかくいーから傷見せろ、ってのとでは違うと思うんですね。
で、どんな状況であれ相手に突っ込んでいくってのは、「傷見せろ」と迫られているような感覚を覚えます。
私は・・・それには賛成できない。
だから田口さんの「人を治す」って言葉にも何だか違和感を覚えます。
こう、ちょっと上から目線?みたいな。

2)時と場合に応じて、が私の行為。
本文中で「そういう心理学者もいるが、違う」「人々がとる行為の理由と本質が知りたい」みたいなこと書いてたけど、残念ながら私自身の行為が「時と場合に応じて」変わるので・・・
「違う」と否定されると辛いところです(苦笑)
なので二者択一・もしくはその他方法を明示せよ、とのことでしたが、「時と場合に応じて」っていうのが私の回答でございます。

3)強いて言えば、「相手次第」
やはり傷を負って、そこから立ち直る・乗り越えるという過程の主人公・主体は「傷を負った本人」だと思うわけです。
つまりは、主人公・主体が周りに何を望むかによって、周りの働きは変わると思うのです。
だから絶対の答えってないと思います。


・・・以上はもちろん私自身も一応傷を負って乗り越えてきた経験があるからこそ考えたことです。
私は触れてほしくない傷も抱えていました。
そういったものに触れられるとキツイと感じる。
ただ見守ってほしいだけのときもあったんです。
同時に、また別種の傷は積極的に助けてほしいこともありました。
本当に、人の性格は千差万別、そして同一人格の中でも傷の内容によってこれだけ違いがあるものだと思うんです。
だから、それに合わせて。

これが私の考え方かな。

無題

  • by チャンディー
  • 2009/11/28(Sat)23:12
  • Edit
mistyさん、こんばんは。

私はいつも貴ブログの記事を楽しみにしており、そして熱心に拝読させていただいております。
年代的にかけ離れた私が、mistyさんのブログにコメントすることは、少し気後れを感じるのですが、mistyさんは今回の記事に対して、読者の反応を強く求めておられるようでしたので、私は意を決して書き込みすることにいたしました。


人の「傷」に触れたとき、積極的に洗い流そうとするか、それとも黙って優しく見守るか?

人の「傷」、それがどのような悩みや苦しみであれ、たまたま自分が他者のそれに触れてしまったとするならば、私もmistyさんと同じで、積極的にそれを解消させようとします。
もちろん、決して干渉してはならないような状況、また黙って優しく見守るほうが良い場合もあるうるだろうとは思いますが、でも基本的には、人が悩んでいるなら、たとえお節介だとしても、私はやはりその人に寄り添ってあげたいと思います。

愚痴を聞くということであってもよいし、また自分が思いつく最善の方法を提言するなどして、相手の苦悩が少しでも軽減されるように、その人の気持ちを充分に配慮した優しい心遣いは示したいものだと思います。

相手に示す自分の言葉と態度が、悩みの中にいるその人を真に気遣う真心からのものであれば、それは必ず相手の心に通じます。

相手の人を思って、良かれと思ってしたこちらの言動に対して、たとえ相手がどのような対応を示そうとも、それはそれで良いのです。何であれ対応があるということは、こちらの意が通じたということだからです。

人によって対応はさまざまであり、ぶっきらぼうであったり、斜に構えていたり、照れから本心とは違う言葉を吐いてみたりしますが、もし相手に、こちらと関わる意思がなければ、全く無関心で完全に無視するのではないでしょうか。

人は皆、口から出る言葉や文を介してそれを述べる人の心(真意)を読み取るものです。
ですから、私たちは常に自分と関わる他者に対して‘思いやり’という愛の心を持っていたいものですね。それによって、人と人という対人関係において互いに理解が深まり、思いやりを基底にした良い人間関係が大きく広がっていくものだと私は考えています。


ここまで書いて投稿しようとしたところ、すでにネズミさんが投稿しておられ、その投降文を読ませていただき、私の考えもその骨子は全くネズミさんと同意見ですので、自分の投稿を取り止めようかと思いましたが、せっかく書いたので、恥ずかしながら投稿することにいたしました。(笑)

ネズミさんは本当に良いことをおっしゃっています。
相手の愚痴を聞く、ただ耳を傾けて話を聞いてあげる、それだけで相手は心の重さが軽減しますし、その人は心の思いを他者に話すことによって、自分で考えを整理することができますから、ただ耳を傾けて相手の話を聞くというスタンスはとても大事だと思います。
私もこの点を強調したかったのですが、ネズミさんのように的確な表現ができませんでした。歳はとっているのに恥ずかしいです。


mistyさんのブログ、素晴らしいですね。
若い人たちが真摯に自分の意見を言い合える、しかもその内容が素晴らしい、頭脳明晰な若い人たちのやりとりを見ていると、日本の未来にすごく期待が持てそうで、私はなんかとても嬉しくなってしましました。mistyさん、ネズミさん、お二人に感謝です。

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