発信主義。:「抱えるくらいなら、発信【発進】せよ」 **** mistyの目に映る様々な社会現象を、考察・検討を通してグダグダ考えましょう。
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
@科学の内部から外部へ突き抜ける方法
科学の外部、外の世界へ、突き抜ける[逃げ出す]方法はあるのだろうか? あるとしてそれは如何にしてなのか?
周知の通り、現代社会では、およそ<科学>scientia と呼ばれるものが、真理のほとんどを占めている。科学的根拠があるかなしかの二元論でほとんどの物事のありとあらゆる価値が判断される。
(※ちなみに本稿では差し支えない限り、「科学」を「仮説・手段・目的を設定して、それぞれに基づき論理的に、ある真理の一部を解明することを本質とする学的態様の諸体系あるいは部分」と定義しておく。この定義は本ブログで繰り返し使うことになると思われる。)
科学とは、簡単にいえば、仮説に基づいて論理的に真理を形成しようとする行動や態度、又はその考え方などのことである。
科学が人間社会をこのように支配するという事態は、永遠不変の事でも何でもなく、とりわけ近代からその勢いを飛躍的に魅せた出来事であった。 科学が真理だとは限らない、なぜならそれはいつまでたっても仮説であるから。
しかし、ある有効とみなされる仮説が支配的な立場を占めるに至った場合、それが反証されるとか激しい批判を浴びるとかされるまでは、その妥当性を確保することが社会の安定につながる。そうして時代時代の諸真理は形成される。
問題はここからだ。人文科学・社会科学・そしてとりわけ自然科学がこの社会を支配するようになったこの今、私たちには果たして科学から抜け出すことはできるのであろうか?
できる、と答える根拠は何であろうか。観察/判断過程に置いて科学的でない、との<答え>が出た場合、それは科学的なものでないから即ち私たちは非科学に接近したことになるのだろうか?? そもそも、根拠を問うてる時点でそれは非常に論理的な手続きではないだろうか。つまり、それは科学的な手法に他ならないのではなかろうか。
科学を否定する場合、この否定の仕方がまた科学的である場合、事態は延々と科学の内部に留まるばかりである。
「これは非科学だ、そう考えたのは科学的根拠だ、その科学的根拠は非科学的だ、そう考えたのは科学的だ…」
井の中の蛙、ということわざが全てを示している。私たちは、単に<科学>という名の井戸に閉じ込められているだけなのではなかろうか?
それは、果たして正しいことなのだろうか。非科学は不正義なのだろうか。 というより、私たちは非科学的なものを、非科学的な方法で、非科学的な眼で、非科学的な手で、接触することができるのであろうか。
現代社会の病理。パラノイア。
既に、脱科学を掲げて様々の分野からいろいろな試みが行われている。一番パフォーマティヴでつまり派手であったのは、イェール学派を主とする脱構築であろうか。 内部に住み着いてひたすら徹底的にその構造を問い直す、つまり井戸の中からハンマーでたたきわって、外部へと抜け出すという方法論。
しかし、脱構築もまだ未完全のままで終わっている。内部から外部へ、私たちは如何にして移行するのか。
簡単なようで、実は驚くほど困難なのが、この<移行>問題である。 それを解消する現場を目の当たりにする日を、私は是非この目で確認してみたい。
以上
misty @
02 | 2024/03 | 04 |
S | M | T | W | T | F | S |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2 | |||||
3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 |
10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 |
17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 |
24 | 25 | 26 | 27 | 28 | 29 | 30 |
31 |
COMMENT
No Title
面白く読ませてもらったけど思ったことが一つ。
>周知の通り、現代社会では、およそ<科学>scientia と呼ばれるものが、真理のほとんどを占めている。科学的根拠があるかなしかの二元論でほとんどの物事のありとあらゆる価値が判断される。
上の前提は間違っているのでは?
二元論ではなく、科学的根拠があるかないか「分からない」という選択肢もあるように思う。
そして、その選択肢がむしろ大多数にあてはまるだろう。
自分は科学的真理なんて一部にしかないと考えたので、
>人文科学・社会科学・そしてとりわけ自然科学がこの社会を支配するようになったこの今、私たちには果たして科学から抜け出すことはできるのであろうか?
という上の問いが理解できない。特に、「支配されている」という感覚が。