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発信主義。:「抱えるくらいなら、発信【発進】せよ」 **** mistyの目に映る様々な社会現象を、考察・検討を通してグダグダ考えましょう。

フルハウスは嗤う

   

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プラマイゼロ part2


(前回「プラマイゼロ」より続き)

でも、しばらくして僕らはまた仲良くなりました。はっきりとは憶えていませんが、まぁ、お互い、「あん時は悪かった!」程度の、子供らしい謝り方をお互いして、元通りになったのでしょう。(笑)

中学の時にも、別の親友と大ゲンカをしたことがあって、めちゃくちゃ傷ついてしまいました(相手もそれ以上にそうだったでしょうが)。 でもそれは小学生の時のような暴力沙汰じゃなくって、彼を、何を血迷ったか精神的に傷つけるような言い方をしてしまったがためにケンカになったんです。。

まぁめちゃくちゃ凹みましたよ。何やってんだよ自分って。大親友を失ったとしばらく鬱。

でも、後々、その親友の方から、「お前のコト、信頼してるから」的なコトを言われて、ほんとっゴメン!!涙!感謝!!(笑) 「こ、こんなオレでもまた仲良くしてくれるかな?」と言って、二人はまた元通りになりました。(笑)
小学生の時の仲直りの仕方とは、少し違いました。「信頼」の言葉をもらって、小学生の時はなんだか少しモヤッとした部分を残しながらも仲直りだったのですが、その「モヤッ」との部分を言葉にしたことによって、あー人と人は信頼でつながれるんやなぁとしみじみと。

高校の時にも、またケンカはありました。(笑) しっかしこれは、なんつーか、お互い、それこそ何時間もいや何日も、喋りまくって喋りまくって内面をさらけ出して、共感に至りました。 ここにきて、いわゆる「無償の愛」、お互い何があっても赦し合えるような関係を一定程度築けたことで、なんつーか、「親しい人」との関係性に於いて、なんだか自信というか、相当のプラスを得てそれは今にも繋がっています。

(2) 同質的・同量的フィードバック

以上のmistyの実際の経験を取り上げて、「人間関係(特に新密度の高いそれ)における人生の経験」値の絶対値総和を図ります。
ちなみに、新密度の高い人間関係は、僕のかけがえのないものの「一つ」になっていることが前提になっています。僕の人生そのものを支えてくれ、時には自らなりふりかまわず投げ出してそこに生き、意義や本当の喜びを噛み締めることも当然あります。「友達ありき」の人生、ですから。mistyの人生はそうなっていると、ご理解下さいませ。
さて、小学生の時のケンカによって引き起こされたトラウマだとかの経験、マイナスを、仮に(-5)と設定します。まぁ本当に、親友との大ゲンカなんてリアルにその当時までは初めてだったもんですから、ホントに傷ついたんですよ。あーもーこれであいつとは終わりなんかなーホンマ寂しすぎるー(p_-)的な。

そして、もやっとしながらの和解によって、一応の回復はしました。でも人間関係における自信全回復には程遠かった。 ゆえに、(+1)としませうか。 ・・・現時点、(-5)+(+1)=-4

中学の時のケンカによって引き起こされた負の値、マイナス3。「お前を信頼してるから!」と言われた時の、救われた感プラス4。 大きかったです。あれだけ精神的に傷つくこと言ってしまっても、こいつはまだ信頼してくれてるんやって思った時は。  ・・・現時点、(-5)+(+1)+(-3)+(+4)=-3

ちょっと回復してますね。
んで、高校の時のそれは、リアルに今のこんぽんてきな基軸としての経験に「なって」います。数値価することにどれだけの意味があるのか(これについては、後の括弧3で記述。)って話ではありますが、プラス10に設定しておきます。  
総括です。 (-5)+(+1)+(-3)+(+4)+(+10)=+7
捨象具合もありますが、おそらく今雰囲気で数値化すると、人間関係における経験値の総和は現時点でプラス7ってことです。

(3)説明

(-5)+(+1)+(-3)+(+4)+(+10)+..............................+?=0

さて、初期に与えられたマイナス5の経験が大ダメージでありました。しかし、それは、後々において、徐々にではありますが、プラスの経験によって「調整」がなされている、との見方もできるというのがこの自論(造語も甚だしいですが)「同質的同量的フィードバック」の考え方です。

はじめにご説明しておきますと、例えばある何らかの痛みを受けた場合、全く同程度・同量程度のプラスが加わってゼロになるという短絡的な話ではございません。
(-5)+........+(+5)=0
 

確かにこういうケースもありうる可能性は肯定しますが、

そんな簡単に人生うまくはいかないでしょう?苦笑


痛みを受けた分同じ程度の幸福が必ず毎回返ってくるのであれば、それはそれでいいと思います。そんな事例もあると思います。ただ、私が例で取り上げた事例はそんなにはシンプルではありませんでした。それでも、結果としては同質・同量程度のフィードバック(つまりマイナスに対するプラス、プラスに対してはマイナス)が起こるという定立です。

話を元に戻しますと、マイナス5の経験は、そののちの「あやふやな仲直り」によって確かに回復は図られています。しかし、完全(+5かそれ以上のプラス)な回復ではありませんでした。
中学の時のプラスは、なかなか大きなものでした。
ここに、徐々なる還元があったと考えることができるのです。
ざっくりいえば、小学生の時に負ったトラウマは、完全には治ってはいなかったものの、時を経て、また回復する機会があったと見るわけです。
現に、小学生の時のもやっとした感じは、確かにこのときの経験によってなくなりました。
そして、高校時っす。これは大きかったです。トラウマを超えて、対極の「自信」に繋がりました。人間、そっとのことでその信頼関係が壊れるものではない、相手に対する思いやり、気持ちが充分にあって実践していけば、必ずいい関係が作れる! との思いに至ったわけですから。 
ここでは、還元以上のプラスを得ました。が、まぁ、都合上総量はプラス7になってますよね。

まだ私もハタチで、むしろこれからの経験だと思ってます。負(マイナス)の経験も、(そして同じようにプラスの経験も)待ち構えてると思います。そして、終局的には、ゼロになると考えます。実にいろんな経験を踏まえた上で、ゼロになるんすよ。

どんな場合であってもそうです。 経験が少なくても、足したらゼロ。
人生というtime accountの量(years)が少なくても多くても、足したらゼロ。
誰の人生においても、足したらゼロ。

そして、便宜上、数を使って説明しましたが、正直、厳密に数値にできるものは決してないです笑 でも、目安としては客観性が図れるという事で、あくまでも分かりやすくするため数字を使いました。

3、プラスとマイナスの客体

さて、例えばなしからずーーーーーーっと、プラスとマイナスの客体を、心理面においていました。(笑)

これ、つまり、裏を返すと、客体の対象をシフト転換することによる応用がきくと私は考えています。
心理面ではあんまあの時の体験から報われてないあぁ・・・とするじゃないですか。じゃあ、おのずから積極的に、その経験の絶対値の対象を切り替えてみればいいんです。
例えばぼくは、本当に恵まれているなぁと多々思うのですが、「親友」となった人とは、やっぱりケンカとかを経ても、今でも親友として相変わらず続いてるんですよね。
でも、終わってた可能性も十分に在りうる。
例えば、中学の時の親友とのケンカの後で、向こうからの切り出しが無かったら或いはリアルに親友の地位は気付けなかったかもしれません。
変な仮定ですが、仮にそういう仲直りの契機がないまま、そいつとは終わってしまった・口をあまりきかない間柄になったとしましょう。
それでもやっぱ、引きずってるんです。
でも、他のどこかで、「人間関係、時には割り切ってみることも大切なんだ!!」ということを学んだとしましょう(事実、メチャクチャ大切な考えだと思いますww)。

そして、あいつとあの時点で切れてしまったのは、きっとこういう事を学ぶ機会でもあったんだと開き直って、クヨクヨ状態から復活したとしましょう。
確かに、新密度の高い人間関係の修復、ことに「その人(the person)」との関係は終わっています。数値的にもマイナスのままです。
しかし、新たな視点(評価の客体)が加わった事で、逆にその経験を活かすことにもつながりました。こういう意味では、プラスになった=調整がなされた、といえます。

プラマイの客体を変える(この場合、人間関係の見方の変化性)ことでも、調整がなされたと考えることは充分にできます。

4、今までのまとめ

以上が、私の私なりの人生観の一つであり、主張したかったことです。
基本定立。 基本的な考え方。 応用。

もちろん、これがすべてであるなんて一つも思っていません。何べんも言うように、思考・実践の蓄積の総体です。これからもその蓄積は溜まっていくという意味で、いわば「絶対的」(そもそもこんなコトバ使いは私はあまり好きではありませんw)な答えなんぞあるはずもありません。

ただ、こう考えることによって、うまくいかないなー最近って時に、なんらかのプラスの作用が少なくとも僕には生まれてから今に至るまで、一定程度有効に働き続けています。

それは、客観的な事実でもあります。 それだけを伝えたくて、二回にわたってお送りしましたー@

それでは、part3に移りまして、最初に述べていた「平等」の原理にもつながるといっていた部分を記述します。
はじめに、のべておきます。
この自論による「平等」観念は、プラマイゼロの観念よりさらに、独りよがりの思考体系です(笑)
 ゆえに自分哲学と定義しておきながら、正直言葉にすることにどれだけ意義があるのか正直私自身が今時点で戸惑っています。(笑) 

まぁ、おそらく鬼畜にしか思えない記述内容になることが容易く予想されますので、そのことだけははじめにことわっておきます(笑)

それでは、part3でまた!
misty @

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音楽をはじめとした、「芸術・文化」の在り方を検討して、そこから日本社会のあるべき構造を考え出していくのを目的としています!
私にとっては、新しい試みです。

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misty
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性別:
男性
誕生日:
1989/03/19
職業:
学生
趣味:
読書/音楽鑑賞/音楽制作/小説執筆/美術館巡り
自己紹介:
学生をやっております。
*好きなモノ・コト
自分哲学すること。
音楽を聴くこと、観ること、演ること、造ること。
映画鑑賞。静かな空間。くたびれた電車の中。美術館。
江國香織。遠藤周作。田口ランディ。

*苦手なモノ・コト
喧噪。口論。理論づくしの人。
早起き。健康的な生活。
デスメタル。精神性のない形骸的ロック。


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