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発信主義。:「抱えるくらいなら、発信【発進】せよ」 **** mistyの目に映る様々な社会現象を、考察・検討を通してグダグダ考えましょう。

フルハウスは嗤う

   

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戦争(争い、闘争)への一歩

こんぱら! おはようございます、mistyです♪

簡単なエッセイを♪

@戦争(争い、闘争)への一歩

昔は、なんで人々は戦争を絶えず繰り返しているのか、さっぱり分かりませんでした。
 今もよく分かりません。

…いや、分かります。いろんな利害調整が働いたりとか、世界大戦がはじまる前の、戦争にネガティヴなイメージがそこまであまりついていなかった時代までは栄光とか復讐心の完成とか、、、

「戦争」とひとくくりにして考察するのであれば、各時代ごと、各地域ごと、等なんらかのメルクマークを取り入れて個別的に検討するのがホンスジでしょうね。そのとき、経済学や政治学、精神分析なんかも役に立ちそうです。
 ”戦争”に原因が確定すれば(つまり因果性の概念でとらえきれれば)の話ですが。 僕は、機能主義の立場を最近採っているので、”戦争の原因”そのものにスポットライトを当てる気はさらさらありません。

 しかし心理システム的に、一つ分かったらしいことがあります。

 それはどの時代の、どの地域の戦争においても、戦争遂行者の心理としては、「他者への恐怖」が根源として働いているのでは、と。
 これは、さらっと読むと至極当たり前な言説なので、「他者」と「恐怖」の2つのタームに分けて説明します。

まず”他者”。 もちろんこれは、”自己””我々”との相関において捉えられるべきものです。

他者の例には、子供や外国人(英語ではなく、南アメリカ民族あたりのマイナー言語)がいいかな。私たちは、いつもそうですが、他者とコミュニケーションを直接にしているわけではありません。これが大前提になります。ニクラス・ルーマンの発想なので、なわきゃないと思う人はここで読むのやめて下さい。

 私たちは、常に相手から返ってきた返事を自己の内において処理し、その返事の意味を推測し、そうしてあくまで自己の内から自分の言葉を言葉として発します。 向こうも同じことをやっています。それは相互行為でなく、二者の行為が同時的に複数成立しているだけです。 他者への呼びかけは、あくまで自己の範疇を飛び越えません。
 しかしこういった単なる二つの自己言及的行為が、たまたま奇跡を起こして「わけのわからんが面白い間」とか「不思議な空気」を作ったりします。

 さて、この上で、私たちが全く親密でない、どこのだれかもわからないような子供(分裂症的)か、どこのどこだかわからないような外国人と、出くわしたとしましょう。どうしますか?
 直接面と向かえば、ボディランゲージなどを駆使して「対話」は起こる可能性が非常に高いです。

しかし、一つ間ができた場合には。 おそらく、普通の感覚であれば、ヨリ距離を一歩とろうとするでしょう。つまり、自分のテリトリー(自分の可知的な領域)にこもろうとするでしょう。
 さっきのコミュニケーションの原理からしたがえば、私たちはいつも、自己の内において、相手を処理しているのです。相手と直接コミュニケートすることはまず少ないです。とすれば。
 私たちはその相手に対して、「この子供はきっと認知症的な何かに罹患している」「この子供はきっと3~4歳くらいだろう」「この子供はよその地域の子供だろう」「この外国人は○○の生まれであろう」「この外国人は英語をしゃべれるだろう」「この外国人は少し体格的に危険な人物だ」  など色々なことを思います。

 その思いは、ラベルとなって、いわばこちらからの防御/攻撃態勢となって、相手とのコミュニケーションを図るに至り、その役割を果たすのです(心理学でいう所のラベリング機能です)。 このラベリング機能が働いている間においては、相手は、相手であって相手でありません。なぜなら、そのようにラベリングしたのは、自己なのですから。分かりやすく言えば、その相手は、あなたが作った頭の中の産物ですから。

こうして、他者の、他者だけが有する<他者性>というものは、一気に引きはがされることになります。どんどん、自己が他者の他者性を引き離して、なんとか他者を理解しようとするために、予め「あいつ(他者)とはこういう奴なのだ!」という決め付けを無意識/意識的におこないます。他者の<他者性>は拡大された”自己”の範疇に収まります。なんとか、他者よ可知的であれ!と、自己防御が働きます。

 ここで重要なのは、そうしたラベルや推測は、相手(他者)の本当の姿かどうかは、相手(他者)の反応をちゃんと見ていない限り、いっこうに知りえないという事です。

これが、見知らぬ他者に抱く、根源的な恐怖につながることは想像に難くないでしょう。その推測/ラベリングが外れていた場合、たぶん私たちは慌てふためきます。それか、「分かったつもりにしていた」他者(の他者性を忘れて)が、全く分からないと感じたり。 推測はあくまで推測なので、外れることもよくあります。しかし、私たちは往々にしてその推測を推測だと認識していないため、「(勝手に)分かっているつもりの他者が分からなかった」と嘆き、そして恐れるのです。これが恐怖のはじまりです。

他者の<他者性>を軽視したこの態度は、相手をよく見もしないままに、また新たに相手をラベリングすることになり、「あいつは自分のことを分かってくれない奴だ」「あいつは危険な奴だ」と自分に有利な推測を打ち出します。そうして、勝手に(!)敵視するのです。

これが、おそらく戦争(争い、闘争)の根源的要因の、大きな一つではないか、と私は強く考えます。
集団自己防御が集団恐怖に代わり、はては集団憤怒に代わり、相手と有効なコミュニケーションを取れないことが”戦争”への火種になる。

出発点はルーマンのコミュニケーション原理からでしたが、ルーマンは社会の最小単位をコミュニケーション(個人/人間一人ひとりではない!)におきます。そのことも、こういった例からよくうなずける気がします。

大切なのは、他者の<他者性>を、そのまま尊重すること。不可知なものを不可知なままやりすごすこと。

コミュニケーションの大半なんて、自己の自己演出ですから。勘違いが勘違いを呼び勘違いになってドカーンと争いになった、そんなんばっかじゃありませんか?笑

長くなりましたが以上です!

misty @

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江國香織。遠藤周作。田口ランディ。

*苦手なモノ・コト
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