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発信主義。:「抱えるくらいなら、発信【発進】せよ」 **** mistyの目に映る様々な社会現象を、考察・検討を通してグダグダ考えましょう。

フルハウスは嗤う

   

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芸能人の「人権」

芸能人の人権。 ひとつ、これを制約する、わりと説得的な論理があります。

sかいのりこsかいのりこ」の記事で、こんな事書きました。
正確には、この文章には、飛躍が入っています。
表現の自由に対する制約、「more speechモア・スピーチ(対抗言論)」という論理がアメリカでは、判例を基軸としてできあがっています。

やっぱ飛躍がありましたね。
ちょっと順を追って説明させて下さい。

1.事前抑制の禁止。 
有名人・著名人の「表現の自由」だとかいうとき、おそらく私の邪推ではありますが、いわゆる「裁判官も人だから」といったような、ヒトの個人性・一般的な人としての側面を重要視する方向で語られることが多いんだと思います。
 もっとも、表現の自由・検閲等の事前抑制に関しては、憲法22条1項・2項が定めています。この条文の読み方に関して、そんなに論点(争点)はありません。この分野のテーマはおそらく憲法人権論の中でも最高峰の難関テーマなのですが、まぁ本稿とは関係ないので省きます。
ざっくりと。
個々人の(団体でもよい)表現に対する事前抑制、よーするに、

ある刊行物(小説とか社説とか)を出版する前に、国家権力がそれを差し止める

といったのが典型例ですね。戦前にハンパないほどありました。戦後、これらの反省を踏まえ、22条2項は制定されました(通説的見解)。

2.モア・スピーチの論理
ところが、ここでアメリカのモアスピーチ論。こんな感じです。

speech(表現) ← more speech(対抗言論)

たとえ、上のように刊行物の発刊を事前に国家(権力)によって差しどめられたとしても、「ちょっと国家がこんなコトしてきたんですけど!」と、例えばマスメディアなどを通して対抗して話せるから、そこでまた出版(表現の自由)ができる可能性があるじゃないか! といった流れです。
お分かりの通り、これが巧く機能するためには、次のような前提条件があることが考えられます。
(あ) 権利侵害を受けたものが、マスメディアといった相当程度の影響力のある報道機関にて、喋ることができるほどの地位にあること。
(い) (あ)のような前提を作出するための、もっと広い意味での「表現の自由主義的」市場があること

(い)は、なんとなしに、欧米諸国に備わってそうですね。彼らは、議論をすることが日常の一部に普通になってますからね。

3.応用

といったわけで、以上の2つの前提条件があると仮定します。
すると、例えば、政治家。 彼らは、おそらく、一般人よりも、積極的にマスメディアにて言論を展開できる場が多いと考えられます。 僕(一般人)は、記者会見なんて出たことありませんし、テレビ番組出演なんてしたこともありません。でも政治家は、まぁニーズに応えてそもそもマスメディアに出現する場面が多々ありますよね。
モア・スピーチ論は、ここで機能するわけです。
コメンテーターで著作物の発刊も念頭に入れて活動していた人が、選挙に立候補して当選するとするじゃないですか。そこで、例えばその発刊しようとしてた書物のタイトルが、「日本政党政治の恐怖」みたいなー実質的な内容を着目するべきだと僕は考えていますがーものだったとするじゃないですか。なんか、刊行を止められそうですね。でも後々、マスメディアに登場してそこで訴えたらいいじゃないかという論理です。

まぁなんとなく説得力ある気がします。報道機関のわけわからん威力は最近すごいですもんね。

それを、同じようにして、芸能人にも適用できないかなと。
芸能人はそれこそ一般人に比べてはるかにマスメディアに登場します。だから、ある種の人権の制約があったとしても、後々そこで訴えればいいじゃん?ってノリです。

4.検討

自分で自分が恐くなりました(笑) 芸能人の人権が、一律的ではないにせよある程度の説得的な論理によって制約されうる可能性を示唆してしまった。

けど、よくよく考えるとこのモア・スピーチ論もおかしなものです。

1、まず、上述した二つの条件ーマスメディア等に出現できる機会がアプリオリに与えられていること、表現の自由が様々なアクターによって活性化されている状況にあることーがなければ、この論理は破たんしてしまいます。

2、そして、次に、報道機関・マスメディアを通じて新たな権利主張をできるからといって、それは単に「できる」というだけの話です。勉強不足なもので、どのようにこのモア・スピーチ論の母国アメリカがこの点をうまく解消しているのか今分からないんですが、「できる」だけであって、実質的に「できた」ことになってないと、結局人権は制約されたままで終わってしまいます。

3ひいては、「できる」などという言葉を口にした瞬間、そこに偶然性による結果への影響という問題が浮上します。 つまり。世論の同情を、たまたま勝ち取りえた人と、運悪くその時は別の事情もあって、世論があまり自分に賛同してくれなかった、結果同情票は集められず自己に対する表現の自由の権利保障が実質的になされなかった。

あららー。
芸能人なんて、ホント生き様をworkにしているようなものですから、それに対する世論の評価なんてものすごく移ろいやすそうじゃないですか。
亀田弘毅(厳密に言うと芸能人ではないが、それ並みにエンターテイメントの世界に入ってますよね!)ー僕は応援しつづけてますーは、デビュー当時ものすごく人気でしたよね。それが、今やつめたーい視線を浴びせられてる。 デビュー当時に「オレ国家からこんな制約受けてん」なんてカメラの前で言ったら、国民は大半がうんうん。
冷たい視線を浴びせられている時に、同じセリフー「オレ国家からこんな制約受けてん」ーを言っても、・・・沈黙の世論の顔が想像できますな\(゜ロ\)(/ロ゜)/


5.最後に

モアスピーチ論による「芸能人への人権」の制約は、果たして妥当かどうか。みなさんどう思いましたか?
私は、最初にモア・スピーチ論の概略を説明して、まず制約を正当化しうるような文脈を述べた後で、今度はそれへの懐疑を示しました。結論としては、妥当でないと考えます。上述のように、モア・スピーチ論は恐らく日本にはまだなじまないと考えるからです。

ぜひご意見・ご感想・ご批判・こんな切り口があるよ!みたいなアクションをどうぞコメントに!
sかいのりこさんかわいそーだなーと思ったら特に!www

注1 モアスピーチ論に関しましては、九州大学準教授の先生のご意見を参考に、自分の頭で要約しましたので、多分にミスティの思考も入ってしまっていると思われます。ご容赦下さい。
注2 モア・スピーチ論が気になった方は、「対抗言論」のキーワードでぐぐってみてりして下さい。
申し訳程度に、なにこれこの定義とは思ったのですが、参考の参考までに、ウィキペデアのリンクを貼っておきます。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%BE%E6%8A%97%E8%A8%80%E8%AB%96
「対抗言論」


ミスティ@

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学生をやっております。
*好きなモノ・コト
自分哲学すること。
音楽を聴くこと、観ること、演ること、造ること。
映画鑑賞。静かな空間。くたびれた電車の中。美術館。
江國香織。遠藤周作。田口ランディ。

*苦手なモノ・コト
喧噪。口論。理論づくしの人。
早起き。健康的な生活。
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