@生、学、自由
ホモ・サピエンスは生まれる。そして成長し、衰弱し、死ぬ。
この過程を<生>と名付けるのなら、
<生>において私たち人間=ホモ・サピエンスは何をするのだろうか?
ここまでの3行が、科学の大前提ではなかろうか。ここから、文学・法学・教育学・経済学・理学・工学・農学・哲学とあらゆる語りが始まる。
科学=学(問)という定式は、これもまた方法論としてしばらくの間(2000年くらい)は有効であるとみなす。
確かに私たちは、<生>を実行する物、すなわち生物の一種である。
それ以上に意味や機能を問う、それが学である。
科学はこの世界に真理があると妄想する学問の一形態である。
おそらく、真理とは、今・ここで<私>が理性悟性感性で処理した世界(社会、宇宙)とは何らかの形で”違う”と思える/考えられる世界のことであろう。
それゆえ、真理は複数存在する可能性がある。
その諸々の真理を見つけて、そして私たちは何をするのであろうか?
おそらくそこが自由であるから、だから悩ましいのだ。自由とは、本質的に悩ましいものなのだ。
それでも近代は自由という価値を最高の産物としてしまったのだから、近代人は悩ましい存在として<生>を実行するしかなかった。
もう、自由を自由と呼ぶのはやめよう。
おそらくそこから、新しいセカイが発生するのだから!
@ misty
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