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発信主義。:「抱えるくらいなら、発信【発進】せよ」 **** mistyの目に映る様々な社会現象を、考察・検討を通してグダグダ考えましょう。

フルハウスは嗤う

   
カテゴリー「エッセイ」の記事一覧

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「できればムカつかずに生きたい」


せかいのみなさま、こんばんは、mistyです。

「できればムカつかずに生きたい」。 僕が大好きなエッイスト・小説家田口ランディの著作。

ほんとに、端的にそう思う。
でも、世の中で社会にもまれて暮らしてて、ムカつくことって多かれ少なかれ誰でもある。
ムカつかずに生きるってのは、どれだけ難しいことなんだろう。

たとえば、昔からわけもとくだんになく、いきなり上から頭ごなしに嘲笑されるのは一番不快に感じることであった。
中学くらいから、それは「ムカつく」という言葉と同時に入れ替わるものとなった。
上下関係をありとあらゆる基盤においている所では、何も問題もないのです。だってそういうのとは違うから。

でも、人と普通に他愛のないことしゃべってる日常の生活の中でも、ちょっと心が疲れていた時なんかは、
身体全体が敏感になって、細かいことでムカついてしまうことも多々ある。

でも、ムカつくの先ってなんだろう。
それはやっぱり、まずはその人全体に対する嫌悪感とか、不快感とか、だ。
でもムカついてそういう気持ちのかたまりを投げつけたからって、最終的に帰ってくる所はは自分の胸である。

後で、結局相手に申し訳なかったなーと思ったところで、投げつけた不快感は自分の所に帰ってくる。ますます気持ちが悪くなるし、相手にも自分にもよくない。

だからこその、「できればムカつかずに生きたい」なのだろうか(=^・・^=)
いつもガツンと響くセンテンスを、タイトルに持ってくる不思議な作家である。

手元にそのエッセイがある。いつ読めるかは分からないけど、きっと近い将来には読んでいる。

さぁて、どんな感触を受けている事やら。ワクワク($・・)/~~~
これだから、読書は止まらない♪

misty @

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ブランドを示す、とゆうこと

世界のみなさんこんにちは、ミスティです(´∀`)

実家帰省2日目でござい。



@ブランドマーク、の意義

アメリカのカルチャーの影響を特段に受けている日本。 市街地を歩けば、そこでは、ある意味ブランドで溢れかえっています。



さて。

日本・韓国・中国という国々は、実に不思議な国であります。 東アジア共同体の構築検討は我々が採択し、どうやらもうはじまっているかもしれません。

あまり勉強はしていないのですが、その頓狂な共同体が出来上がるとして-ミスティは、基本的に構築概念そのものには何ら反対しませんというか、一般には支持する立場です。ただ、運営に当たっては、EUのように、いやEUでさえあれだけの紆余曲折を経たのですから、さぞかし困難の壁の数が思いやられまっせ-、根本的な問題の一つとして、相当の文化の多様性と序列的経済差が考えられるでせう。



スコッチやらヘルメス(笑)やら、ろくに語源を知りもしないブランドを、ただのステータスのそれとして軽視する人には、賛同しかねます。

だって、今の世界現状考えたら、もうちょっと慎重になれば?て思うから。

ブランドをステータスとして使い、着こなし、語る。それについては、異議はありません。それらの利点としては、

1、自己(自我)の表現の延長線上にそれをおいた場合、自由がより確保できる2、顕示欲を示せる

3、ある何らかの思想・信念の顕れ(スコッチ社の社会問題に対する企業理念、など)として、世に素早く発信できる



殊に、1はでかいっすよね。

うちのオカンも、労働者階級なのに(笑)、なけなしのへそくりをがんばってためて(笑)、やれグッチだのcourregesだの言ってくる(´∀`) まあいいが。



しかし、さあ。

例えばね、貧困で苦しむ、子供達の目には、どんな風にうつるんだろうね。想像を絶する。

ああ、私もいつかはあんなになりたい!と、希望も与えられそうです。

反対に、決して手の届かない世界だとやけになり、富裕層のくそくらえ! となって、富裕層と貧困層の対立が、マスマス深まってしまう。



私は、後者の事態をシリアスに懸念する。



だから。

頑張ったご褒美に、ステータスのはられたブランドを身に付ける一歩その前に。

ちょっとでもいいから、その目を、経済世界の抱える問題へ向けて欲しいな。



ブランドであふれかえるこの自由資本主義日本は、これから間違いなく国際社会においてリーダーシップをとっていかなければいけない立場にますますなる。そんなとき、国民の一人であるあなたが、個人の表現の自由と、個人の生存の権利を比べて、それで考えてくれたら。



あとは、ブランドつけるなり、はたまたそれに対抗する退廃ファッションでもいいや、なんでもいいから結果にうつしてほしいです(´∀`)

キタチョーセン、とか、確かに核保有してるし、国際政治の場ではどーかなとも思うけれども。 それいったら、日本も同程度、いやそれ以上のことを戦前にやってしまっているわけで。

ね。一律に排する感情論ではなく、深い人情を。きっと、いけとしいけるもの、みんなが、どこかでは共通項があるんだ!ってことを勉強するなり肌身に感じるなりして。



ブランドをつけることの、功の点罪の点を、慎重に時には考えましょう(*^□^*)

ミスティ @

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兄弟という関係

@ 兄弟という関係で生きるということ

2時間前にも日記を投稿した気がするが(笑)、久々に携帯から新幹線にて発信。
今回の帰省は、オヤジのがん手術見舞いと、高1の妹の家庭問題。
オヤジはもう手術を終え、全然大丈夫らしい。初期発見でよかった

妹の、家庭問題。
反抗期が肥大化して、ついに親に暴力をふるうまでに至ってしまった。
電話でちょくちょくは説教していたのだが。
自分の無力さを、痛感せざるをえない。
しかし、今のタイミング、顔と顔を合わせて、妹と話をしようと思う。

兄弟、ことに下のものは、やはり兄や姉の背中を見て成長するものだ。
妹の最近の反抗期を見ていると、本当に過去の自分を見ている気持ちになることもある。
バガボンドでは、親子、恋人、いずれでもない兄弟愛を、不思議な相関関係だと登場人物は語ってました(_´Д`)ノ~~
本当に、不思議だ。
親からみる子供の心理は、時に理解不能だろう。
そこでちょっとでも親が見放したような印象を与えると、子供は親の愛情を感じないぶんますます、孤独になる。
そんな時、兄弟関係で生きるアナタだからこその、見えてくるたくさんのものがある。
成功的な行動、結果に、少しでも近付けたらよいと願うばかりである。

ミスティ @

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ネット「世界」の作出の罪

なんだか。

人様の社説サイトにて、ずーずーずーずーしく書き込みをしてしまって、多分コイツうっとぉしいなぁと思われた可能性大ですが、ちょっとそこから妄想が膨らんでしまって。

大変独りよがりな考え方ですが、他人と交流することで、また自らの思考なり世界なりも広がろうとする方向にはたらくんですよねーー。 相手にも、同じような作用が働いていなければ、あまり貢献的とは言えませんが(;一_一) 苦笑

っというわけで(?)、「芸能人の「人権」part3」に入る前に、ちょっとコーヒーブレイクタイムwww

お題は、情報享受における問題に関連する、

「ネット「世界」の作出の罪」

1、目的

なんで書こうかって、そらまずぼくがこうやって「不特定多数の皆様、こんにちは」とか言って、ネット世界を利用しているからです。(笑)

2、現状
ネット世界=新世代的世界=第三世界。 情報交流・享受の場としてのそれの登場は、実に華々しく、そして圧倒的で、大変なスピードで台頭し、今に至る。

なんだかね、最近は、個人のお料理屋さんとかでも、ググッてポンとやると、ホームページがあったりするじゃないですか。 以前までは、ホントありえない状況ですよね。 地縁的で、せいぜい口コミでかけつけた遠い人が不定期に訪れるくらい。おそらく、サービスとしては、何一つ困らなかったハズです。

僕は、第三次産業の多様化は、このネット世界の台頭と共に進行してきたと考えています。たがいが互いに、リンク・影響しあっているからです。
サーヴィスの多様化を考えていた所、ネットがあった。

ネットの本質、いや利点を、
Ⅰ、何よりも利便性が高い
Ⅱ、お手頃感覚
Ⅲ、face to faceほどの力はないけど、その代わりにものすごく交信できる対象が広い

いま思い付きで列挙しました。 この三点を考えただけでも、企業戦略の一環としては、使ってみようかなとプランニングしそうにあるのは、想像に容易いです。 
そしてそれが功を奏する。利用者は、利益最大化のもと、なるたけネット世界を基軸としてもっともっとアドヴァンテージを獲得しようとする。
それとパラレルに、ネット世界サイドの方も、いわばニーズに応じるがのごとく、機能充実を図る。 個人向け・企業向けのHPのサーバーを提供するだけではなく、もっとその場の享受を簡単なものにしようとする。古典的売買契約を生業とする業者に当たっては、なんと「ネット通信販売」なるサービスの基盤を作りだす。 今まで直接販売店・お店に足を運ばないと買えなかったモノまで、自宅にて、契約書のサインチェック入れ+クッリクポンであっという間に売買契約成立。 
なんかOャパネットさんみたいな語り口調になってしまいましたねwww

ともかく、利用者側のニーズに応えて、ネット世界側もどんどん機能を拡充させる。この意味において、互いは互いを高め合う相互作用を及ぼし合う関係にあるといえそうです。

3、主体・客体

ここからが、本論です。
ネット世界を、客体(O)におきます。
そもそも、爆発的に普及させることとなった主体(S)は、誰なのでしょうか。

このネットの利点に着目し、自ら先駆者として、この世界を軸に発信していった人物の重なり、だと僕は考えています。

田口ランディ。 この方、売れ線のエッセイスト・小説家です。この人がどうやって成功に至ったか。
まだこんなにブログやら2ちゃんねるとかが一般的ではなかったその時期、彼女は「ランディ」というHNのもとに、それこそ誰だか特定できない(=certain persons)けど、不特定多数の人々(=abstruct people)に向かって、自分の日常生活を通してポツポツとエッセイを投稿していたのだそな。 何年間かそれが続いたのち、ある出版社の目に偶然とまり、「これ、文庫化するのも面白いかも」といって、彼女に契約の話を持ち出してから、彼女は「田口ランディ」として、本屋に出現する人物となりました。

私は、彼女のコト、先駆者だと思ってます。 他にも、同時期に同じようなことをしていた「未来を見る目のありる」ユーザーもぽつぽついたのではないのでしょうか。
それは、個人の自由の尊重、表現の自由の拡大の認識とあいまって、そして現在のように、誰もが簡単に自分のブログ(情報発信としての場)を持てるようになったと、私は考えています。

それから、2ちゃんねるを始めとした、大規模・匿名性をウリにした巨大言論市場。 これは、すごいです。 個人から、年齢・性別・職業、あらゆる属性を切り落として、例えば6歳の一年生と55歳のトップエリート官僚が「(形式的には)対等」に言論を自由に交わすことができるようになったのです。

しかし、利用者の多くは、特に政治・司法・教育・ビジネス・経済等への体制への批判の場として、新しい・比較的若い世代がactorでありました。


4、新世代VS前世代

a.分かりやすく、以下、二項対立の図式で、語ります。

私が主張したいのは、 このようなありとあらゆる分野で影響力を持つようになった世界を形成したのは、

基本的には新世代側の方

だと考えています。
なぜなら。
前世代、まぁ要するに戦後の高度成長期時代を担ってきた人たちであったり、ですが、私は前世代は前世代なりのレートを以てして、日本社会へ貢献するものとしての世界を作り上げたことには、マイナスの評価は下せないと感じるからです。

b.ちょっと分かりにくいっすね。(汗) 戦後~80年代前半くらいにおける日本で、人々が情報の媒体として認識していたものってなんでしょう。

けだし、
新聞・テレビ(白黒からカラーへ)、特に新聞が重要な要素としてあったと思います。

なんだか、おばあちゃんとか、年配の方見てると、本当にいつでもどこでも暇があったら新聞を読んでるなー思うんですよ。 サンケイしかり、マイニチしかり、ヨミウリしかり、地域新聞しかり。 コラムから日経平均株価の細かいところまでビッシリと。 
うちのじーちゃんは、朝起きて、マズは2時間新聞に目をやる、それから仕事にいってました。

c. するとですね、こんだけ新聞の影響が色濃くあると、いきなり新たな強力な情報の媒介が出現したとしても、優先順位を直ちに変えたりとかは、まずしないと思うんですよ。
わしゃあー目が悪いけんの、インターネットのほうが字も大きくできるしみやすいわい、

という方はともかく笑、新聞による情報受信を基盤に社会活動をなさってきた大半の方々は、とりあえずネット世界の「強力性」は、

彼らよりも、まだ地盤が整っていない我々新世代のほうにより響く

こう考えるのは、結構常識的な気がします。おぉーネット使いやすいなぁ、しかもどこのだれだかわかんないけど、とりあえず頭よさそうな人とリアルタイムに即効で意見交換ができてるなぁ、みたいな。

d. するとどういった事態が起きるのか。 ネット世界の利用者は、なんとなく、

新世代側の方に寄って行きそうです

そうして、本稿で一番いいたいところ。
新世代側に寄ります。彼らは、彼らで、自己最大化戦略ー自分たちにとってより使い勝手がよく、自分たちにとってより分かりやすくーを打ち立てます。結果、何が起きるのか。

ネット世界の作出・制度設計をも、新世代側の方がよりシェアしていく 

事が起こりうるのです。
例えば、アナウンスメント効果の如き効力が、少なからず前世代側に起きてしまったり。 余計、制度設計の運用の担い手から、彼らは離れます。
シェアが減った分、そこに、ますます、新世代側が入り込んできます。そうして、制度設計をはじめます。

kwsk これって、なんて読むんでしょうかね。(笑)

なんとなく、僕ら若い世代の方が、ピンときそうじゃないですか?
多分、年配でネットをあまり触らない方には、暗号の方にしか感じ得ないと思います。でも僕らは知っている。 情報の詳細な提供を求める、実に便利な「コトバ」であることを。

5.ネット「世界」の作出の罪

制度設計・運用の担い手になった僕らは、いわば同時的に、その遂行する権利と、義務(責任)を獲得します。

権利行使は、構いません。
私が焦点としたいのは、「責任」のほうです。

ネット世界の有効性が、かなり普遍的であるのだとすれば、なぜ僕らはもうちょっと前世代的の人にも優しく利用できるような制度を考えれなかったのでしょうか?

考えても、結果としての運用の方に問題があった? それも、われわれが一定程度負うべき責任です。
ましてや、ネット世界は素晴らしい!かの如く主張して、これからの社会活動の基盤に持ち込もうとする人は、その前に、ほんの僅かな前の状況を鑑みるのが妥当であると思います。 別に、100年・200年もの昔の話じゃありません。90年代かそこいら、たかだか20年くらいじゃないですか。当時、情報享受・交流としての媒介として、新聞・TV・ラジオ・・・各々が果たしていた機能の程度を、考えるべきです。

そうしたうえで、それでもネット世界の利便性を社会活動に反映させたいのなら、どんどん権利行使して社会を構築すると共に、前世代の人にも優しい社会を同時に合わせて考えて制度設計していく。

(おれたちゃーネットなんてもんは知らんよ! っていう年配の方には、でもねおじさん、このニュース知ってる?新聞にはのってなかったと思うよ、ほら。

・・・なんだ、これ。どっからこんな情報がわかるんだよ!わしゃあ知らんで! あのね、こうこうこういう情報検索機関があってね、この機関は実は今の国家権力と知らない所でものすごく結びついているんだよ。その機関からの情報なんだ。

・・・ふーん。なんで知らない所で結びついているってことになっているんだ?  続くww)

6.最後に

実は、ネット世界を盾にして社会活動をしていくなら、その制度設計・運用に関してしっかり責任持てよ、という主張を支える私の思想の裏には、

ちゃんと、今まで時代を作り上げてきた人々に対して恩返しする思い・信念も持つべきだ

というものがあります( ^^) _旦~~
前世代を見ない人に、未来はない。 否、現実に即しても、前世代VS新世代 の二項対立になったとき、殊に新世代サイドのほうは、前世代の人々に対しても説得力ある行動を示していかないと、必ず社会の基盤は揺れます。 賛同を得れなくして、どうやって担っていくんでしょうか。ねむり薬でも飲ませるんでしょうか。それはあまりに、非人道的で、戦時に犯した我々日本人の反省を、ちっとも生かし切れてませんね。


やっぱ長くなったーーー!!!!!!!!!!! (笑)

自己利益最大化戦略もいいですが。
頭がよくて、余裕もあれば、他人のことも考えましょうよ。

って理想論が、終局的にはこの主張を支えています。

それではまた。

misty@

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sかいのりこsかいのりこ

世界の皆様こんにちは。

前回、元来、というか、物事を理性的に考えると、消耗の度合いが激しいんです。(笑) こんな(笑)みたいな記号もそうそう簡単に使えませんからね。(笑)

最近マスメディア嫌いがどんどん激しくなっています。とにかくうるさい! マスメディアの存在自体に異論はないんですけど、actor多すぎ! 特に民間の報道機関って、当然企業として活動していくわけですから、視聴率取らないと活動が困難になるし、資本投下は分かるんです。

けど、正直、最近マスコミやたらうるさいって感じませんか?(笑)

僕はとにかく五月蝿いと感じざるをえません。資本投下して、でもその後ある程度のリターンがあるべきじゃないですか。
 何が煩わしいって、まず報道の比重のアンバランス。何から何でも報道の対象にすりゃいいってもんじゃあない。加えて、各分野への時間配分distribution of timeも、どこか不自然だ。ある程度妥当性を備えてなきゃダメっすよ。どこのだれだか分からないような人物が、我が物顔して何かしらコメントつけて・・・。 いやアナタ専攻が政治でしたら、エンターテイメントの報道に口出す必要ありますか?ってゆう。 逆もまた、あなたエンターテイメントを基盤に活動していらっしゃるのに、「これが国民の感情なんじゃないかなぁとかおもいますぅ、最近の政治はぁなんだかちょっとおかしいとおもいますぅ、えぇそんな実態があったんですかぁ憤慨ですぅ」って一体なんで口出ししてるんでしょうか。責任感あるんでしょうか。芸能人として勝ち取った地位ですか、あなたが発言した時間×約12,000の時間数が我々国民の人生に入ってくるというのに。教養があるなぁって芸能人の方はともかく、そこのオマエ!(笑) 仕事として出演しているんならもっとマシなコメントしろよ!

中間団体=報道機関としての役割は知ってか知らずか、ムチャクチャ脅威のように感じられます。しかし、それは妥当な権威あってこそ正当化されるべき「高尚さ」でしょう。その権威って、次のような所で形面れるんじゃないんですか?マスメディアの本質=「正しい客観的な事実・問題を、公正かつ迅速に伝える」こと。どうなんでしょう? 僕は知り合いの方に、報道機関の上役で働いている方などを存じ上げませんし、お話を聞いたこともありません。このブログを見ていらっしゃる方がいたら、この阿呆な僕のギモンに答えてもらいたいものです。

1、迅速さを重視するあまり、「客観性」「公正さ」をないがしろにしている感じが否めません。 
2、あと、民間報道の数の多さにも正直引きます。多くの情報を提供してくれているなら分かります。しかし、少なくとも私にとっては、各報道機関を通じて総合的に入ってきた情報が、とても整理がついているものになっているとは考えられません。日本の政治を知りたいのなら、ブッチャケ毎日でも国会法廷での視聴をしたいものです。でもそれではボク、ろくに仕事もできそうもなく生きていけません。(笑) 

何となく図式化。
政治(例えば国政)のニュースの伝わり方

リアルタイム国政現場 ⇔(互いに対等に交信できるという意味での記号) 我々国民

これが理想形ですが、上述した通り、数字的にも人口数の多い日本国家ではこういう体制はなじまないというか難しいでしょうね。

現状は、こんな感じでしょうか。

リアルタイムの国政現場 ①⇔ 各種マスメディア ②⇔ 我々国民

二段階に増えた! 伝言ゲームじゃないけど、やはり媒介が入ってくると面倒ですね。

メディアリテラシーとか胡散臭い言葉が飛び交ってますが、上の図式でいえばそれはきっと②の段階で使われるものなんでしょうね。でもそんなマジックワードみたいな抽象的な言葉を以て、、「私達報道機関はこんだけ頑張ってこんなに多くの情報を与えているんだから、あとは国民の皆様の賢慮な判断で正しく情報を受け取って下さいね」と一律的に考えているのであれば、もうそれは正視に堪えられませんね。そんなことないと信じたいですけどね!

しゃあないから僕は、新聞一つと、NHKと、あと民間報道の質の高いもの、以上で情報の享受を打ち切っている状態です<゜)))彡だって、現実に入ってくる情報自体に混雑性が付着してるんだもの。


そーそー最近とにかくうるさいなって思ったのが、さかいのりことおしおまなぶの麻薬事件なんですけど。

やっと一つ謎が解けた気がしました。(笑) 遅いどこまでもノロマなボク(/ロ゜)/
裁判員制度が伴ってどうやら運用面で国と国民の間に齟齬が生じているみたいですが、その関連で、マスメディアは、こんなにも彼らの事件を、いわば「餌」のようにしてこぞって、ちくいーーーーーーち報道してるんですね。なるほど。
最近、訴訟絡みのドラマだとか多いですもんね。訴訟事件に裂く報道時間とか圧倒的に長くなりましたもんね。

さっき某テレビ局ニュース番組のニュースキャスターがわけわからんこと口走ってたから気付けました。

[これで国民にも、裁判にもっと関心を示してもらえばいいですね」

ひょーよく言うよと思ったけど、まぁそれでこんなにうるさく報道してたんだあぁと。 腑に落ちた感じです( ^^) _旦~~


例えば、憲法学の世界では、人権を考察する際に古典的な題目として、「外国人の参政権」というものが挙げられています。 
でも。
この一連のさかいのりこ事件、スッゴイですね。有名人税だかなんだか知らないけど、一個人としての彼らの立場を考えると、僕はとてもじゃないけど彼らの立場には立てないと思う。心折れまくっていると思う。耐えられないよ、こんな視線の多さ。 
憲法を騙る多くの教科書、その一つに「外国人の参政権」で語られえる内容に負けないくらいの、「有名人の人権」みたいなカタログも真面目にあっておかしくないと思いました。


「有名人の人権」。 芸能人の人権。 ひとつ、これを制約する、わりと説得的な論理があります。アメリカ由来ですが。日本ではあまり運用されてません。  次回くらい、語るかもしれません。(笑)

誰もが、裁判事件という一つの「ドラマ」の主人公になる可能性を秘めているのは常識ですが、それが報道機関をはじめとする国家権力以外の中間団体(法人、権利能力なき社団などなど)によって、不当に歪曲化され、当事者および利害関係人の「人権」ーいわゆる二次的な、名誉棄損ーを侵害するのであれば、それは非常識であると思います。

misty@

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音楽をはじめとした、「芸術・文化」の在り方を検討して、そこから日本社会のあるべき構造を考え出していくのを目的としています!
私にとっては、新しい試みです。

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プロフィール

HN:
misty
年齢:
35
性別:
男性
誕生日:
1989/03/19
職業:
学生
趣味:
読書/音楽鑑賞/音楽制作/小説執筆/美術館巡り
自己紹介:
学生をやっております。
*好きなモノ・コト
自分哲学すること。
音楽を聴くこと、観ること、演ること、造ること。
映画鑑賞。静かな空間。くたびれた電車の中。美術館。
江國香織。遠藤周作。田口ランディ。

*苦手なモノ・コト
喧噪。口論。理論づくしの人。
早起き。健康的な生活。
デスメタル。精神性のない形骸的ロック。


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