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発信主義。:「抱えるくらいなら、発信【発進】せよ」 **** mistyの目に映る様々な社会現象を、考察・検討を通してグダグダ考えましょう。

フルハウスは嗤う

   

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観察

 こんぱら! mistyです。

簡単なお話を。

@観察

もう現代知識界においてはほとんど一般教養のレヴェルにまで達したことであるが、「観察」という行為を深く考えてみると非常に面白い。

(近代/現代)量子力学が一つの重要な結論に達し、それは全ての学問・非学問分野に渡って、多大なるインパクトを与えた。そのインパクトの一つが、「観察」という行為/態度がどれほど不可解なものであるかということが科学的に説明されたということだ。

話はとても簡単である。私たちがごくごく普通の、日常的な観察を行う時。例えば誰でもやったであろう、小学生のときのチューリップの自然観察。 そんな日常的観察を行っているということが、実はもしかしたらその対象となっている日常現象に大きく影響を及ぼしているかもしれないということだ!
普通、小学生がチューリップの自然観察を行うとき、じーっと見つめてチューリップの花びらのスケッチを行っているとき、私たち人間はチューリップの花びらの様子が観察行為そのものによって変化するとは、予想もしない。それが、大前提である。水やりを忘れてしまいがちだったり丁寧に腐葉土の管理を怠ったりすれば、それは当然にチューリップの生育に影響を及ぼすことは自明のことであろう。ただまじまじとチューリップの花びらを眺めるだけでチューリップが枯れてしまったら、それは大事である(『魔女』『怪物』など、『一般人』とは似ても似つかない特殊な眼力や魔力を持つ例外的存在しかなしえない)。

しかし、観察する対象が、例えば人間であったとしたらどうだろうか。「人間観察」を行うとき、一般的大衆としての私たちは、それなりに困惑するのではないか。
例えば筆者は、個人的に、あぁこの人の日常生活をちょっとでいいから観察してみたいなぁ・・と思うことがたまにある。筆者は、家事(洗濯・料理・掃除)が比較的苦手な方なので、例えばいつも部屋をきれいにしている友人や毎日オシャレな格好をしてくる人の、<家>の中での彼らの立ち振る舞いを、ぜひとも観察してみたいのである。

ただし。 例えば筆者が、観察したいと思う人を1日中ずーっとまとわりついていたらどうなるか。
答えはおそらく、「相手はぐったり疲れる」であろう。
もっと突き詰めて言うと、筆者のまじまじとした目線を受けることで、何らかの影響を及ぼし、「その人が普段通り行っている生活行為」とはちょっとズレてしまうのではないか。

部屋のきれいなAさんが掃除をしていて、それを筆者がまじまじと眺める(話しかけたり、メモをとったりなどは全くしない。目線を送る=自然観察)。すると、Aさんはひょっとして、いつもなら間違える筈のない所で掃除機のコードを絡ませてしまったり、ボタンを押し間違えたりと、細々としたミスを提示するのではなかろうか。
観察者としての筆者は、あくまで「いつも通りのAさんの家の中での部屋の片付け方」を見たいだけなのである。Aさんは、「部屋の掃除はだいたい1日10分程度かなー すぐ終わるよ片付けなんて!」というが、観察者が関与したときのAさんの掃除が1時間もかかってしまっていたとしたら。

それはやはり、<観察>という行為が他者に何らかの影響を及ぼしているとしか、言いようがないのである。

どうしても「いつも通りのAさんの部屋の片付け」を確認したければ、最も成功するのは「こっそりとAさんの家に監視カメラをつける」ことであろう。そうすれば、Aさんの<意識>からは「誰か(観察者)から見られている・・・」という心理は生まれ得ず、したがって観察者は満足して目的を達成できることになる。
「監視カメラがあるかも」と思わせては、絶対にならない。監視カメラがあると意識した瞬間から、行為者はその目線を気にせずにはいられなくなり、普段通りの生活を送ることはできない。

最初に例をあげたチューリップ(植物)に関連させると、一般的感覚では私たち人間の<観察>が植物であるチューリップの生育等に影響するとは到底考えられない。しかし、観察対象を植物ではなく人間にした瞬間、変な違和感が生ずるのである。それはおそらく、「心意識」であろう。
ここでの植物/人間 の違いは、「心意識がないかあるか」である。 植物には心がないと考えられているから(少なくとも今日までの科学的世界においては)、私たち一般人は安心して(?)「植物観察」を行うことができる。
しかし、人間には<心>なるものが皆あると考えられているので、「人間観察」を行う場合には、何かしらの相互影響を観念しなければならないのである。

観察者(人間) → 対象物(植物)
観察者(人間) ⇔ 対象物(人間)

こんな感じである。純粋に、人間を観察(カメラでもいいし、渋谷に出てルンペンのふりをして歩行者を1日中眺めるでもいいし)しようとする時には、観察者が対象物に与える影響を考えなければならない。対象物(人間)は、観察者(人間)の目線を気にせずにはいられないのである。気にせずにはいられない結果、行動にも多少の影響が出る。よって、対象物(人間)の「純粋」な行動/態度を、観察者(人間)は的確に捉えることは少なくともできないのである。

以上

misty @

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映画鑑賞。静かな空間。くたびれた電車の中。美術館。
江國香織。遠藤周作。田口ランディ。

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