奇才!ニホンジン 1
親切はよしてくれ
ども、こんにちは、mistyです♪ 胃腸炎に(また)かかってしまい、腹が痛いことこの上なしですm(__)m
寝るだけ寝てしまったので、前から暖めていた事柄を書こうかなと思います(゜_゜)
「奇才!ニホンジン」と題しまして。
特にひねりもないつまらないタイトルですが、そうです、
ご多分に漏れず日本人の思想や行動を俯瞰・ちょいと分析してみようという事柄です@
よくありますよね、一般書籍でも、「日本人ってなんだ?」とか、「だから日本人は~」みたいな本とか言説とか。
そこで、数あるそれらの中でも、圧倒的に読みやすく且つ示唆に満ちたものと思われる、アメリカの人類学者
ルース・ベネディクト著「菊と刀」(講談社学術文庫、2005)を基軸とした文章を、投じたく思っています。
私的には、この菊と刀触れずして日本人思想を語ることなかれ、といってもいいくらいの、名著です。もちろん?な箇所も多々あるのですが、それ以上にこの論の明晰さと洞察の深さは看過できないものがあります。
「菊と刀」の構成を、軽く見ておきましょう@
(目次より)
第一章 研究課題-日本
第二章 戦争中の日本人
第三章 「各々其ノ所ヲ得」
第四章 明治維新
第五章 過去と世間に負目を負う者
第六章 万分の一の恩返し
第七章 「義理ほどつらいものはない」
第八章 汚名をすすぐ
第九章 人情の世界
第十章 徳のジレンマ
第十一章 修養
第十二章 子供は学ぶ
第十三章 降伏後の日本人
・・・こんな感じです。戦争や降伏というキーワードが使われているように、この書物はもともとアメリカ当局が太平洋戦争において日本を攻略するための一資料という役目を負わされていました(結局使われなかったらしいですが・・・)。 だから、第二次世界大戦を挟んでの日本人の行動とそれに対する分析も、第2章・13章をはじめ広く行われています。 考察の対象はそれにとどまるどころか、時代も古代から戦時に至るまで大変広く、しかもそこには一貫した論調があります。
とりあえず「菊と刀」の紹介はこれくらいにして、初回の本論に早速入っていきたいと思いまふ($・・)/~~~
回に応じて他書物が時折参照されるかもしれません。
※ちなみに日本の思想学といえば、丸山眞男や和辻哲郎などがメジャー所。まぁ、ぼちぼち・・・笑
@親切はよしてくれ
a)
第五章「過去と世間に負目を負う者」134頁に、こんな面白い記述があります。
([]内は筆者)
…たとえば街を歩いていて風に吹き飛ばされた帽子を、誰かが追っかけてくれた場合に、ほかのどんな感謝の言葉よりも好んで用いられるのは、この語[すみません]である。その人があなたの手に帽子を返してくれる時に、あなたは礼儀として、それを受け取るに当たってあなたの感じる内心の苦しみを告白せねばならない。…
ベネディクトは「すみません」、すなわちこれでは終わりません、という語句に対応する英語として、Thank you, I'm gratefulという感謝の意と、I'm sorry, I apologizeの陳謝の意の二つを挙げています。そして、引用箇所の内心の苦しみを告白する・・・という、なんとも大胆な書き方をするからには、どうやら後者の陳謝の意味を大きく背負ったものとしての「すみません」を、我々は好んで使っている傾向があるらしい、とベネディクトは述べます。
今ではどちらかというと「ありがとうございます」と感謝の気持ちを述べるほうが一般的ではないか、という気もします。しかし、私たちはありがとうという気持ちと同時に、何かしら悪いことを相手にさせてしまったと、どこか落ち着かない気分に時たまなることも否めない、というのが本当のところではないでしょうか。
本論ではベネディクトが注目した、苦しみの告白という行為を対象としていきます。
b)
ベネディクトは先の引用文に続けてすぐさまこう記します。
(下線筆者)
…「この人は今こうして私に恩を提供してくれるが、私はこれまでに一度もこの人に会ったことがない。私はこの人に、まずこちらから恩を提供する機会をもたなかった。
こんなことをして貰ってうしろめたい気がするが、誤ればいくらか気が楽になる。日本人の感謝を表す言葉の中では、おそらく『すみません』が最も』普通なき言葉であろう。私はこの人に、私がこの人から恩を受けた事実を認めていること、そしてそれは帽子を受け取っただけですまないということを告げる。だって私にはどうにもしようがない。われわれは互いに見知らぬ人間なのだから」。…
内心の苦しみの告白というのはすなわち、見知らぬ人から思いもよらず恩を受けてしまったことに対して、ほとんど為すすべもない、せめて陳謝を言葉にして相手に伝えておこう、これくらいの意味でしょう。ベネディクトは、他人から何かをしてもらったことに対して、人が下線部のようなある種のうしろめたさを感ずることを、日本人独特の感性だと考えているようです。そしてそれは引用文中にもあるように、「恩と義」の関係に生きる我々という文脈の中で、もっとはっきりしてきます。これについては、「菊と刀」第六章の「万分の一の恩返し」がより詳細に述べており、ベネディクトもこの章でそれらを明らかにしています。この恩と義については、また別個取上げていきたいと思います。
c)
そもそも、この章のタイトルは、「過去と世間に負い目を追う者」(=日本人)、でした。これはいったい何を意味するのか。
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