せかいのみなさまこんちには、ミスティです(^O^) えーもう今年も早いもので、あっという間に残りわずかですね。
この年末になって、記事をまたおそろしい程投入したので笑、お暇な方はいつでもどこでも読んで下さいまし。一度投稿した記事は削除いたしません(*´∇`)
一応今年最後のしめくくり(?)として。
@伸びる身体、広がる意識
(1)複数の「わたし」
中学の頃くらい、一度にいろんな事を違った角度から見はじめる時期に思っていたのことの一つ。私は「わたし」という一つの個人でありながら、いわば多重人格を生きている。そのことが不思議で不思議でならなかった。
「あだ名」の複数性が例えばそうだ。戸籍上では一つの名前が確固としてあり、学校の先生達からはその名前で呼ばれ続けた。しかし、同級の友達からは、実にいろんなあだ名で呼ばれる。でも、私たちは普段何の意識もすることなく、あだ名で呼ぶ友達に向かって「なにー?」と受け答えする。
また、第三者としての大人から見れば、当時の僕は「中学生」と呼称されては、「最近の中学生・高校生はマナーがなってない」とか言われたものだ。
家に帰れば、親からは「息子」妹からは「にいちゃん」、そしてばあちゃんからは「孫」として扱われる。
私たちは、いつも一つではない、複数の地位や役割を与えられて生きている。
(2)帰属体への欲求
江戸幕府が崩壊し明治という新しい時期に移行した時、「藩籍奉還」の実施や「四民平等」が唄われた。第二次世界対戦後には、日本国民は14条によってあらゆる社会的身分と門地から開放された(日本国憲法14条1項)。「裸の個人」の出現である。
だが、僕は個人を解放させたことによって逆に、帰る場所、拠り所みたいなものを私たちはどんどん求めるようにならざるを得なくなった(新たに見つけなくてはならざるをえなかった)気がしてならない。
例えば同じ14条1項の中でも「性別」に基づく差別禁止規定が書かれてあるが、いわゆるあの例のジェンダーという概念がフェミニスト達から仕切りに主張されたことも起因し、「男女雇用機会均等法」などは制定の目を見た。現憲法の制定・施行から40年近く後のことであった。いずれにせよ女性の様々な場所での社会への登場・活躍は増え続けている(時に男性よりすげえと思うことも多々ある笑)。近所さんとの生々しい付き合いもいいけど、それだけじゃなく例えば仕事場で自分の能力も活かしてみたい!、的。
日本社会には、ほんの150年前くらいには強い血縁的共同体や、士農工商などの身分の中に一生を生きるという習慣があったはずなのである。
**また休憩させて下さい笑**
武士は武士として生きるのが当たり前、治安や政治をおこない、食べ物は農民から得る米。 あまり誰もが、その慣習自体に違和をそもそも覚えなかった節がある。
*余談:歴史を振り返ると、えてして革命や反逆は外来の文化や学問を学ぶことから端を発するのが多いみたいだ。イギリスの清教徒革命・名誉革命とジョン・ロック、フランスの1789年革命とアベ・シエイエス、江戸幕府の揺らぎと大塩平八郎。勉強して得た知恵を潔く実行に用いるのが格好良い。 *
繰り返しになるが、日本国民は最高法規(憲98条1項)である所に規定されている14条1項を読む限り、とりあえず社会的身分や門地から差別を受けるべきではない(らしい)。しかし現実には社会背景もあいまって、殊に労働世界における雇用者と被雇用者の事実的支配関係、法人(中間団体)の権力の増大などの現象は未だに拭い切れていない問題として残っていることを、書き留めておく。
より自由でかつ平等になったはずの個人は、しかし結果として新たな不自由や不平等を受けざるを得なくなった。すると。
個人はまた、昔にあった筈の、自らを先天的に縛りつけてくれていた身分や地位、そしていろんな共同体への帰属を、夢みることに繋がることもあるのではなかろうか。
資格ブームや検定ブーム、あれは単に流行現象として起こったのではなく、もしかしたら自分が(比較的楽に)得ることのできる地位や資格を、内面の欲求そのものが欲していたのかもしれない。
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