こんぱら! mistyです。
今更気づきますけど、「エッセイ」というカテゴリのくくり方、かなり自由ですよね。笑 エッセイと名付けることで、いろんな物事を「社説」「論説」よりもずっとずっと軽めに、気軽に語れる。うんうん。
エッセイは、その自由すぎる故に、「この情報を的確に得たい!」という場合には不向きかも知れないけど、時間がある時は手にとって読んでみたいですよね。たくさんのことが、断片的であれ体系的であれ、語られているから(*^。^*)
そんなわけで、今日も短いエッセイ。
@バランスが取れている人
バランス取れてるな、この人! と思う事がよくあります。
それはどういう人なのかというと、簡単にいえば、「切り替えがうまくできている人」。
ゼミナールや会議のように、荘厳さ・厳密さが求められる空気の中では、びしっとした態度で物事を語り、お茶タイムになったら途端、みんなをユーモアで笑わせる。
まったりした話が行われている時は、自らもその流れに沿った話を提供し、キャピキャピした空気の時は、冗談をぶちかまし、相談モードになる時は、表情を変えて真剣に人の話を聞く。
全部、「切り替え」ができている証拠だと思うんですよね。
諸個人の生活の中では、あらゆる場面があって、上記のような荘厳な空気をまとう場面/まったりとした空気をまとう場面、 キャピキャピした雰囲気の場面/真剣真面目モードの場面、といったようにいかようにも分類することは可能であると考えられます。
それぞれの場面の中で、求められる道徳心・行動力・ユーモア・性格など、ハッキリいってぼんやり主義の私から言わせれば、「各々の場面に応じて常に適した(=求められる)行動をやるべき!」なんてのは考えたくもありません。プライベートの場面に「今日のあなたはこんな服装をしてこんな性格をして生活を送るのよ!」という母親には蹴りと咆哮をいれたくなります。
しかし、事実として、ある場面において求められるものを発揮したら、その分だけ効果があるんだ!というのは認めざるをえない。 仕事の場面においては、特にそうでしょう。
生活にはいろんな場面がある。 学生をやっていても、それは実感します。 学生=勉強をやっている人 とはいえども、普段の生活の中で、そりゃあ勉強だけやっていればどれほど単純なことか。
実際には、家事炊事、友達との交流、郵便局に行く、テレビを観る、「勉強」以外にも様々な生活上の様式がそこにはあります。
バランスが取れている人、すなわち「切り替えがうまい」人は、その点、生活力という観点からおいて、優れているのかなぁと。。
これは、私misty自身が、切り替えるのがへたくそで、故に生活力もその分それほどではない、と自ら思っていることの裏返しでもあります。
楽しい気分の時はいいのですが、暗い気分が襲ってくると、それを駆逐しようとして余計に気が滅入り、ずっと引きずったまんまですからね。 気持ちの切り替えができないというより、それは「うまく」ないんだなぁ、と思うこの頃であります。
一般論として、切り替えがうまい人/下手な人、と分類することができると私は考えます。 前者の方が、生活力の上ではしたがって優れている、というのも、直感的にも論理的にも帰結されうるとも。
私が、切り替えがうまいと思っている当の本人の内心を、私は知りません。機会があったら、聞いてみようかな。
「そんなに意識はしていないですけど…」という答えは返ってきそうです。
切り替えがうまいことが、結果論として自らの生活力の向上につながり、それが派生して周りにもプラスの影響を与えることが、きちんと実証されるのであれば(本稿では、この点におけるちゃんとした論理的考察を行っていないですから)、僕もそれに従ってみようかな…。
とりあえずは、、まずはその人のまねから始めたいと思います。無理しない範囲で。
エッセイというより、日記に近くなってしまったかもしれないですね苦笑 それでは。
misty @
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