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発信主義。:「抱えるくらいなら、発信【発進】せよ」 **** mistyの目に映る様々な社会現象を、考察・検討を通してグダグダ考えましょう。

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芸術娯楽二分論 1

芸術娯楽二分論 1

第1章「芸術」の枠組み

第1節
途方もない問いかけ

(1)娯楽産業の枠組みを排して 

 およそ「~とは何か」という問いかけは、飛来爆弾を目の前にするようなものである。考えた所で何も知り得ないから、とりあえず逃げるしかない。そして、被爆が続く限りは、代替案を考えるのが普通であろうと思われる。

 私個人の話をすると、「音楽って何だろう、芸術って何だろう」という途方もない問いを、とにかく自己でよく反芻してしまうのだ。被爆にあいつづけるのである。この質問に対する正解(ないし真理)など、おそらく存在しない。正解の存在を肯定するにせよ、ちょっとの思考と生の実体験からでは到底それの域にたどり着きそうもない。そこで、時には友人や音楽業界に携わっている方とお話ししてみたりもする。

 私の自己哲学的な思索の生産性などは、皆無である。そこで、「~とは何か」という問いの形をまず変えてみる、というのが、普遍的でかつ有効な手法であろう。


 本論ではさしあたり、娯楽(娯楽「産業」)との距離感を実質的に考えるのが大きなテーマとしてあるので、「娯楽とは違う・異なる芸術とは何である(べき)か」という形に転換しておく。しかしこの問いは、娯楽とは何か、といった(同様に飛来爆弾的な)問いも同時に含んでいることを示唆することにはよく注意しておかなければならない。


(2)ステージという区切り

 少し話を変えて、ステージという場の持つ機能や意味合いを考えてみたい。

 絵画や造形物の展覧、音楽の披露などが催される時、多くはそこに日常空間とは異なる「場」が設けられることが多い。美術館や博物館、アートギャラリー、武道館やコンサートホール、ライブハウス… 大規模なものから小規模なものまで、高度で複雑化されたものから実にシンプルなものまで。 芸術作品・形態にアクセスしようとする時、周りを見渡せば、日常の場とは区切られ特別に設定された空間がよく目につくのである。

テントでの劇の性質を考察する桜井1頁は、次のように述べる。

…テント芝居の重大な関心事は、いつも〈場所の領有〉の問題である。たとえ数日間であろうと、屋根を架し周囲を幕で囲えば、その場所は領有化された空間となるのだ。…

 具体的な事例をもう1つ上げておくと、音楽の演奏場所の多くには必ずといっていい程段差が存在する。それが低いものからものすごく高いものまで形は様々だが、基本的にはその段差によって設けれた、「高い」場所の方にステージが作られ、観客スペースと区別される。
 この段差の必要性の1つには、たくさんの観客がいる中、ミュージシャンを観やすくするといった理由も大きいに違いない。だが、本当にそれだけであろうか? 

 ごくたまにではあるが、ほとんどないといっていいくらいの、取ってつけられたくらいの段差や、たまにはそういった演奏家/オーディエンスの場の区別が全くされていない会場も例外的にあるのだ。これは、一体何を意味するのであろうか?
桜井1-2頁は続けて、こう述べる。

…だが、テント芝居がテントという〈劇場〉を必要とする以上は、その場所がいかなる性格のものであろうとも、そこに新たな公共空間を創出してしまうことになる。たとえば、その場所が個人所有の私有地である場合でも、そこはテント劇場という公共空間に変わらざるをえない。(中略)その異質さは、緊急避難場所としての段ボールハウスと似ているが、それが〈私〉的領有でなく、新たな公共空間という領有性を持つという意味ではかなり違っている。…

 「音楽って、演奏家と観客のコミニュケーションなんです」ということを、たまに耳にすることがある(たいていは一流のアーティストの発言や、その業界に長く携わってきた人のそれなどである)。 桜井2頁のいう「新たな公共空間」とはたとえばそういった、アーティストとオーディエンスの一歩進んだコミニュケーションの場所故の公共性、ということも含んで語っているのかもしれない。しかし私は、個人的にはステージってそういう場所なんだ!と実感の境地に至ったことは未だなく、従ってこの読みが正しいのか間違っているのかは分からない。 
 しかし、括弧2で見てきたことではっきり言えるのは、私たちは芸術といわれるものを披露する時、ほとんどがステージという場所を設けて、何かしら日常とは違う位相でそれを行ったり観たりするようである。

(3)途方もない問いかけ 

 重商業主義、という言葉がある。あの有名な政治家コルベールが、フランス王政後期において、国策の最優先事項として、国内商業を活性化させる立場などが、それとして言われたりする。

 昨今の音楽業界では、商業化の流れの勢いは益々激しくなっている。大衆音楽の中でも、一昔前はCDやレコードの歌い手となるのは、厳しい世界を勝ちぬいた演歌歌手、歌謡曲を歌うごく僅かなアイドルに限られていたものが、各芸能プロダクションは競うようにして自事務所が抱えるタレントを歌手としてデビューさせたり、また80年代のバンドブーム等が大きな流れとなってそれまでアンダーグラウンドに居続けたバンドも、よく表舞台に登場するようになって久しい。

 日本社会は、第1・2次産業の大きな飛躍と確立を見た。それを土台とし、80年代からはサービス業をはじめとする第3次産業の分野の中でいかに戦えるかという点に経済実務の注目が移行した。 その中で、音楽は娯楽産業の圧倒的な流れに不可避的に出会ったりした。

 それがどんな事態を引き起こしたかはまさに目の前にある事柄なのだが、これを一言で表現するのは難しい。しかし、敢えて言うとすればそれは「音楽の混乱」だと、私は肌身でいつも感じている。

 そこで、これからしばし長きに渡って、いくつかの視点から音楽のみならず芸術一般の現状と、あるべき姿を考えてる。途方もない問いかけに対しては幾人もの人が思念を費やしてきた所では、ここではあくまで娯楽産業から排される・もしくは排されるべき芸術とは何なのかを実質的に考察する。


(注) 参考文献
桜井大造「変幻痂殻城」『HAN 第2号』(白順社、2009)


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