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発信主義。:「抱えるくらいなら、発信【発進】せよ」 **** mistyの目に映る様々な社会現象を、考察・検討を通してグダグダ考えましょう。

フルハウスは嗤う

   

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普通の幸せって?


@普通の幸せって?
 
 「私は、普通の恋愛をして、普通の家庭を築いて、普通の人生を歩んでいく、ただそうしたいだけなのに―。」
 
 そんなセリフをよく聞きます。
私からしてみると、そんなことをよく軽々と言えるな!という感じです。笑
 「普通の」幸せ、この形容詞・「普通の」、という言葉はとてもやっかいなものだなと感じます。
それは、「普通の」という言葉を前にを付けてしまった瞬間、たとえどんなものであろうとそれが「格下」(でありながら獲得されるのが必然とされなければならないという強制を伴ったもの)に成り下がってしまうから、と思うからです。
 
 早いが話、上のセリフ、「普通の恋愛をして、普通の家庭を築いて」という、彼(彼女)が念頭に置いている「普通の」人生とは、本当に「普通」なのでしょうか?
 これは否、誤りだと私は考えます。こんな説教くさい話をするのは元より苦手だしそんな柄でないことは重々分かっているのですが―。
 こういうことです。
例の上の人生図とは、すなわちごく最近に私たちが「夢」にまで描いた、理想図―「普通」は対極・反対のもの―なのではないでしょうか? 四民平等、男女平等の名の下、どこか1920年代のアメリカ的な家庭を背景にしたような構図は、しかし、一般的なものであるとは、到底考えられません。
 
 自由な恋愛ができ、お互いに結婚という一大イヴェントをクリアし、仕事に励みながらも育児を充実させる、このことの難しさ。
 20年代のアメリカにおいては、確かにそれは普遍的な家庭の構図であったのかもしれません。しかし、それは一時的な普遍性だったのではないでしょうか。
 
 1920年代のアメリカといえば、第二次産業革命を起こし、WW1後の国際社会に置いてイニシアティヴを取ったということも後押しをして、国家的にも非常に勢いのある時代でした。そんな時に生活・文化圏の中心になったのが、上の例の「普通の生活」像だと考えられます。
 もう一度いいますが、当時はそれは確かに個人の人生の一般的な図になりえたのかもしれません。しかし、それとて永久的なものではなかった。何故なら資本主義を本格化させることになるアメリカ社会の裏では、実に多くの貧困労働者が生まれ、彼らは「理想的な」人生はおろか、食えるか食えないか分からない生活を強いられていたれっきとした事実があるからです。また、白人社会・黒人社会等に見られる、人種間のあからさまな軋轢、それによる貧困の拡大化も見逃せません。
 ということはやはり20年代が普遍的とみなした「普通の人生像」も、内容的にも歴史的にも「特殊」のものであったことは間違いがないのです。
 
(★「普通の」―  普通の恋愛、家庭、仕事、人生   →  「理想的な」

1、 「普通」とは平均ではなく、むしろ理想化された特殊なものである
2、 「普通」=おしなべて  …そのような等質的な生活像が実際にあるわけではない
3、 「普通の生活」を手に入れた人は、実際はごく少数である

 
 私の意見では、日本は例えばアメリカ文化を、形のみならず精神までもを非常に欲していたと解します。昨今私たちが「普通の暮らしがしたい…」と呻いているその大本の「普通の暮らし」も、たいがい、そういった海外からの影響を受けて多かれ少なかれ歪曲された像に他ならない、と考えています。
 だからといって、そのイメージが悪である、とは一つも思っていません。
 
 しかし、私たちが意識している「普通の暮らし」「普通の人生」「普通の家庭」とは即ち普通ではないのであって、むしろ「理想」や「夢」などの稀の方向に近いもの、と考える方がスッキリします。その差異を私たちは簡単に忘れて、「普通の」という形容詞を用いることでそれらの事実にフタをし、まるでそのことがあたかも一般的、引いては手にするのが当たり前、手にしなくてはならないもの、であるかのように思考しがちなのだと思います。
 
 実際、どのくらいの人がその「普通の」幸せを手に入れているというのでしょうか?
また、私たちの一人ひとりの差異(違い、相違)は、必ずと言っていいほどあるものです。私たちの境遇がまったくそのまま一緒、なんていう事態が果たしてどのくらいあるでしょうか? 似たような人生を送っている人だな、と思うことはあっても、よくよく聞けば細かいところが随分食い違っている、ということはよくあることです。
 とすると、「大多数の人々が送っている普通の暮らし」なんていうのも、アリえないことになります。一人一人こんなにも違う私たちから、共通項をみいだすことなんて、ほとんど不可能に近いからです。同じ人数の家庭をもって同じ年収を稼いでいる人が二人いるからといって、その二人が抱いてる心象までもが同じと誰が言いきれるのでしょうか。片方はこれで満足だ、などとと思っていても、もう片方はこんな生活ではマダマダだ、と思っている―少なくとも、同じような心象風景がみいだされることは皆無と言って差し支えないと思われます(それは私たちが抱えている差異そのものに根拠がある、と考えています)。
 
 さらに、そうした特殊な事例は数の少なさを以て他を圧倒するという性質があります。つまり、「理想の人生図」を手にしたものは、実際にはごく僅かであるにもかかわらず、それがイメージとなり伝聞となることで、人々の脳内を刺激し「そのような人生は、夢ではなく私たちにも同じように手に入れることができるのだ」、と考えてしまうことになります。
 ここで峻別しなければならないのは、「可能性」と「事実」です。確かに、普通の人生=自由な恋愛をして、立派な家庭を持って、希望のある人生を進むこと をかなえられる可能性は、どこまでも平等に私たちの目の前に広がっている、ということは否定できません。特に自由主義資本主義社会との関係では、そのような可能性はぐっと広がった。
 しかし、そのことと実際にそのような生活を送ることができている人たちは、ごく「一部」です。そして多くの人は、恋愛に障害があったり、結婚に何回も失敗したり、子どもに恵まれなかったり、仕事で挫折をしたり、そういうことがありながらも前を向いて生きているというのが実体なのではないでしょうか。それらが「哀れな人生」であると思うことの方が哀れなのです。障害―尤もそれは社会が「障害」と見做すからこそ障害たりえるのだが―のない人生など、ありえるにしても求めるのが不思議なほどです。
 
 つまり、「普通」は普通であって普通ではない―。
素晴らしい物事をあたかも「当たり前」のことにみなしてしまうわたちたちの思考の性急さ、これこそ愚の信骨頂!  私はそう思います。
 それよりも、目の前にある現実から目をそむけずに、大きな気持ちで受け入れていくことの方がよっぽど大事だと私は思います。
 だから、「普通の人生でいいのにっ…!」と言ってしまう人は、普通の人生というものがどれほど困難でだからこそ重要なものなのか、そのへんの所を考慮せずに発言してしまっている結果なのでは―と疑うのが先になります。
 幸せはよく目を凝らせばその人の近くにたくさん転がっているだけであって、「普通の人生」という強迫観念が眼隠しとなってその人の思考を縛り付け、見えなくさせているだけなのではないか―。それならば、「普通の人生でいいのにっ…!」の解決は、「こうこうこうすれば普通の幸せを手に入れられるよ」と説く占い師や宗教家の言葉よりも、「そうじゃなくって、もっと広い心で目の前の現実を受け入れてみれば?」と教えてくれる小説なんかのほうが、よっぽど心に響く。
 もちろん、解決方法は人それぞれであって万人に適したものなどないというのが正論でしょうが、悩んでいる人はまず「何故自分が悩んでいるに至っているのか」ということに思いを巡らせば、意外に答えはそのへんに転がっているのではないでしょうか。
 
まとまりのない文章でしたが、得てして人の煩悩とはそのようなものだと、私は思っています。
misty @

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誕生日:
1989/03/19
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読書/音楽鑑賞/音楽制作/小説執筆/美術館巡り
自己紹介:
学生をやっております。
*好きなモノ・コト
自分哲学すること。
音楽を聴くこと、観ること、演ること、造ること。
映画鑑賞。静かな空間。くたびれた電車の中。美術館。
江國香織。遠藤周作。田口ランディ。

*苦手なモノ・コト
喧噪。口論。理論づくしの人。
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デスメタル。精神性のない形骸的ロック。


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