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発信主義。:「抱えるくらいなら、発信【発進】せよ」 **** mistyの目に映る様々な社会現象を、考察・検討を通してグダグダ考えましょう。

フルハウスは嗤う

   

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戦争責任

mistyです!
少し話に飛びがある記事になってしまいました。。 反省。

述べられている2つの疑問というのは、ようするに

1 戦争=WW2 となっている我々の認識の危険性
2 「責任」を戦争未経験のわれわれにあまりにも簡単に、画一的にそして威圧的に伝えている嫌いがある

です。


@戦争責任
 
この時期になるとなお一層、第二次世界大戦をはじめとする日本の「暗い」過去についての報道の熱が増す。
 
端的に言ってしまえば、私には報道の必要性とその大切さは十重に分かっているのだが、それにしても報道の偏りには疑問を抱かざるをえないのである。
 
まず一つの大きな疑問は、日本は歴史を振り返っても幾度の国内・国際紛争をおこなってきた(そしてそれは現在にも連なっている)のにもかかわらず、何故WW2のみが過剰に取り上げられるのだろうか、ということである。
 たしかに、この戦争が日本の歴史や文化などにとって、特殊で異様な意味を持つことは頷ける。最多の犠牲者が出たことや、二度の原子爆弾―日本は唯一の被災国である―が落とされたということ、全体主義的な色がとても濃く、戦時下はあらゆる価値が裏切られ虐げられていたということ。ポイントをあげるには少しも足らないが、WW2が日本に投げかけた―投げかけている―事柄は、実に根が深い。
 しかし、戦争というとなぜすぐWW2になってしまうのだろうか。時系列的に一番短いからか? それは否であると思う。近いといっても、戦争の終わりから現在にいたってはとんでもないほどの月日が流れているし、しかも日本がそれ以降関与している世界戦争は現に存在するからである。まさか、まっこうから交戦をしていないという形式的な理由だけで、日本は非・戦争国であると認識するわけでもあるまい。
 
 疑問は解消しないが、しかしこのことがはらむ問題を敢えてあげるとすれば、それはあまりに戦争=第二次世界大戦 という結びつきが強すぎるために、他の事件の事が認識されなくなってしまうという危機である。
 確実に言えるのは、日本はこれまでも幾度の戦争を行ってきたという「事実」である。WW2は確かに最も異例で重要な意味を持つ事件の一つであったが、だからといって、他の事件が重要でないということでは必ずしもない。
 
 過剰な報道がもつこうした危険性を、もう少し当局は考慮すべきで、報道の配分などについても改めてく構成しなおすべきであろう。
 
二つ目は、われわれはあまりにも戦争責任を重たく負っている、と見えることである。それも、WW2の時のみのことを? 報道は、私たちの「過ち」を決して忘れることないように、という目的をこめてということもあって、毎年毎年戦争責任について考えたり思ったりする時間を私たちに提供する。
 それは、必要的・とても意義の大きい時間であると思う。戦争責任は、何年かかっても償いきれるものではないし、まただからこそ、何年かけてもしょっていくべきであるからである。
 
今いえるのは、私たちが普遍的に戦争や平和のことについて考えるとき、その基盤となるのが固定されたWW2の世界観になってしまわざるをえなくなることである。WW2ではああいうことがあった、だから今回はそんなことが起こらないようにしよう―。 一応、一般的な思考傾向であるように思われる。
 それでは、世界大戦終結後すぐ起こった朝鮮戦争に対する日本の態度は? 友好国であるとされるアメリカが関与した戦争について、日本が積極的な国際対応を取らなかったことは?
 
 私たちが参照するのは、過去に行われたただ一度の戦争のことのみではないはずである。反省材料は色々とあるし、またそれらは同じような意味をもつものでもなく、それぞれ微妙な差異を持った問題を投げかけてくれるであろう。
 具体的にいえば、参加国として関与したWW2の反省として、日本国憲法において国際戦争の参加を禁止する規定を作った。 それでは、朝鮮戦争において軍事物質を結果的には大量に戦争地に配布することとなった日本の、責任は何もないのかといわれれば、そんなことはないであろう。実質的に「参加」というかたちを取らないにしても「提供」国としての対応はどうすべきだったか・・・? このようなことを、このあまり認識されていない戦争は考えさせてくれる。
 
 要は、WW2に捕われるあまり本質を見失ってあまり視野を狭めすぎるな、ということである。
 思考の視野は、自分でも気がつかないぐらいにどんどん変化していくものである。だからこそ、私たちが戦争責任について冷静に考えるときに必要な参照物を、WW2のみに固定することはないのである。広く見なければならない。
 
率直にいうと、報道やその他の情報機関・機構からもたらされる戦争責任についての事柄は、どこか単純で説明不足で威圧的だ、ということが否めない。私も含めて今の子供たちは、WW2をリアルに経験したことがない。
 何かを伝えようとするときに、その肝心の何かが簡単になりすぎてしまったり、大事な要素が抜け落ちてしまったりというのはよくあることだが、だからこそもう少しこの点をデリケートに考慮するべきである。
 
 WW2は60年以上も前に終わっている。そして、戦争についてのイメージは、一途なものでなく、実に様々である。事実を報じるのはけっこうなことであるが、それが人の頭の中にどう映りどう解釈されるのか、このことはメディアについての最大の課題の一つであると断言できよう。
 
misty @

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  • by A子
  • 2011/07/05(Tue)03:35
  • Edit
私は日本の戦争報道はもっと大きな問題から逃げているように感じられるよ。
謝罪と賠償の問題とか。731部隊とか細菌戦とかテレビで全然聞かない気がする。
もう今更認めたって...て感じではあるんだけど。。でもなんか、対日感情の悪さってそこにある気がしてならんのんじゃ~。そしてそのギャップは広がり続けてる気がする。

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誕生日:
1989/03/19
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読書/音楽鑑賞/音楽制作/小説執筆/美術館巡り
自己紹介:
学生をやっております。
*好きなモノ・コト
自分哲学すること。
音楽を聴くこと、観ること、演ること、造ること。
映画鑑賞。静かな空間。くたびれた電車の中。美術館。
江國香織。遠藤周作。田口ランディ。

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