こんぱら、mistyです。
今回は、短編小説の投稿です。 何のひねりもないけど、甘口の文章を試食あれ( ^)o(^ )
@「おかえりなさい」
おかえりなさい
神田 初朗
ほだされるように、暑かった。今では夕涼みくらいの、ちょうど心地良い気温に巻かれて、例のあの何ともいえない、暖かみのある疲れにひたっている。私は家のドアの鍵を取り出して、ガチャリという確かな音とともに、住み慣れた場所に戻る。
ふぅっ、部屋の中も、一段と熱気が渦巻いていて、初夏だというのにさっそくクーラーをつけなければならない。そろそろ扇風機の導入を本格的に考えるべきなのだろうか―いや、順番は本来逆でなければならないのだが。私は、街に出掛けてお買い物した様々な様式の紙袋―白地に紫色の斑点模様がついているものや、かわいらしいピンクのリボンがちょこんと付いている小さめの包装紙、タワーレコードの真っ黄色のビニールなど―をひとまず床に降ろす。クーラーのリモコンのスイッチを押すと、ほどなくしてそののろまな機械は低い音を立てて作動する。おろしたてのふわふわのフェイスタオルを取り出し、うっすらにじみ出てくる汗を拭きとる。
時間は5時前。もっと遅く帰る予定だったはずが、何故だかはやく家に帰りたいと思った。いや、思わされてしまったのだ―誰かに、或いは何物かに。私の馴染みでない街の中で、強く、馴染みのある場所や人のことを考えていた自分。こうして部屋に戻れば、喧騒もないし、だいいち派手でない。派手でないということは私にとっては案外重要なことで、というのも派手であるものは、そうであるべきちゃんとした理由を備えているべきなのだ。無意味に物事を何でもかんでも派手にするのはよくない。私の、中心的スタイルの一つ。
ルネ・クレマンの『禁じられた遊び』を借りたので、時間を見計らいつつ鑑賞しよう、そう私は心に決める。クーラー直下、機械が放つ独特のひんやりした空気を浴びながら、テレビ下のDVDプレイヤーにそっとディスクを載せる。テレビ画面からはトップの画面が現れ、私は迷わず”“All Play”を選択した。思えば、休日の夕涼みに、こうして映画を観賞するというのも、なかなか贅沢なことだ。物質的なそれではなくて、精神的な豊かさ。そういうものの、大切さを、噛み締めることができていることに、自分でも少し驚いた。
映画が始まって、ひじょうに憂いのある曲が流れる。もうこの時点で、私は世界観の虜になりかける。『禁じられた遊び』を観るのは、これで2回目になる。白黒映画のいい所の一つは、その白黒から、実態的な色彩を、自分の感性の中で自由に決められることだ。ポレットの着ている洋服はきっとこんな色―すこしだけ薄汚れたホワイトに違いない―、ミシェル愛用の帽子はきっとこんなカラー―茶色か、時には赤色に違いない―、といった具合に。
そうか、僅か10分足らずで、重要なキャラクターが<死>に見舞われるんだっけ… 気が付いたらテレビスクリーンは、ドイツ軍によるフランスへの空爆の渦中のシーンを過ぎたあたりにきていて、思わず私は「一時停止ボタン」を押した。ちょっと、涙せずにはいられないからだ。横にあるティッシュを2,3枚乱雑に取り出して、図らず出てしまっている涙を吹く。情けないと思いつつも。
…私の記憶の回廊は、ふたたび今日の町でのお買い物のシーンに優しく突きあたる。このDVDを借りたレンタル屋さんがある通りは、近郊では有名なスポットでもあった。私も、レンタル屋に行くたび、その通りを歩く。
通りの名前を、イチョウ通りという。いたってシンプルな名前の付け方で、要するに通りの両脇がイチョウの樹々でずらりと埋め尽くされてるのだ。初夏の季節には、これでもかというくらいの、緑々しい笑顔を見せてくれる。厚みがあって、どちらかというと強気のタイプのそれ。特別好みの植物でもないが、それでもよく通いよく慣れ親しんでいる、イチョウ通り。そこに集まる人たち。交差点で点滅する信号機。排気ガスの音。そして、イチョウ通りを包み込む、優しい風と空気。
私は、やっぱり少し高揚しているんだと思う。なんでだろう。
イチョウ通りは、いつもあの人と一緒に歩いていた。今、「あの人」はどこかに消え去っていって、それとともに、イチョウ通りも、少しだけ雰囲気が変わった。
程なくして、私は映画の続きを観はじめた。泣くだけ泣いた後は、さすがに冷静になって、私は物語が終焉に近づくまで画面に食い入るように鑑賞していた。たまたま残っていたポテトチップスのかけらと、冷たいお水を口にしながら。ひとときの贅沢。
そうして、私は、「今の人」を待っている。「今の人」の帰りを。これでもかというくらい、強く。確かに帰ってくる「今の人」のそれを。
時計は7時を回り、映画もちょうど観終わった。よかった、計算の範囲内だ。これから少し急いでご飯を作らなくちゃ。お米は炊いてあるから、副食を。「今の人」がほころんでくれるような、なるたけおいしいと言ってもらえるような、そんなご飯を。
『禁じられた遊び』の余韻に浸りつつ、私はキッチンに立ち、ハンバーグ―メニューは案外、思い付きで決まってしまうものだ―の調理に取りかかる。いつものように、バラエティ番組と、CDオーディオをつけっぱなしにして、私は調理の作業に専念する。何の為に? なんだろう。
何の為に。 「今の人」のために。
口から勝手に、Cymbalsの『My Brave Face』のサビが流れてくる。あぁ。
人を待つのだ、それが、こんなに愛おしくて。
玄関から、綺麗で的確な、チャイムの音が鳴るのを待ちながら。
(了)
[3回]
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COMMENT
ほんわか´ω`
No Title
そうだね、この短編小説は、セリフも出てこないし、パンチがあまりになさすぎるね。うん。うん…笑
「人を待っている時に感じたふとした高揚感」をモチーフにしたんだよ。人を待つのがこんなにも嬉しい、って感じる感性って、すごく綺麗だなぁって思って。 映像では伝わりづらいしね。
基本的に、僕が書く小説は、何か「これ!」っていう伝えたいシーンがあって、それを描くためだけに他の文章が並べたてられるからね…。 もうちょっと、勉強が必要ですな。
とにかく、読んでくれて&感想 ありがとね♪( ^)o(^ )
感想〜
主人公の回想しかり、ひとつひとつの行動しかり。
そもそも主人公が誰かとか、
そういう話の細かいことの定義付けや背景の設定がされてないように感じました^^;
でもさすがに1時間じゃ無理もないと思うのでもっと時間をかけて書いたらいいんでは!
感想
江國香織好きとあって、彼女の短編小説の影響が多々見られますね。
No Title
訪問&書き込み、ありがとうございます!! 返信が遅れるに遅れて申し訳ないです<(_ _)>
冒頭の「ほだされる」の使い方が間違っているという指摘ですが、具体的にどういう風に間違っていますかね?(>_<) 調べてみましたが、特に自分が表現する分には抵触しないと思われました…。
そうなんです、江國香織さんの影響がモロです!
彼女から離れるのかどうかは、分かりません。笑
カキコありがとうございました! またどうぞ来て下さい(*^。^*)
No Title
感想ありがとう!
定義付けは全然しっかりやってないね…。 やっぱり、文芸評論的には、定義付けをしっかりやったほうがいいのかね?
修行が足りんな。 頑張りますわ! いや、まずは目の前の勉強を頑張らねばwww