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発信主義。:「抱えるくらいなら、発信【発進】せよ」 **** mistyの目に映る様々な社会現象を、考察・検討を通してグダグダ考えましょう。

フルハウスは嗤う

   

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主体性批判 続き 完 

主体性批判
(2)からの続き

私たちは、自己の言説において、果たしてどれほどその言説が自己のみからのものに由来するのかという事について、どこまで断言することができるだろうか。事態は、むしろ逆なのではないか。

すなわち、20世紀の初頭の言語学や第二次世界大戦後影響力を高めていった言語論的転回という現象が語っているように、私たちの発する言葉は、何らかの文化によって決定されているのではないか(このブログのこの記事でさえもがそうであるということを述べている)。全般にわたってとはいかないまでも、わたしたちはある程度この事柄を認めることから逃れ得ないのではなかろうか。なるほど、一義的にそう解する事にも同様の無理はあるであろう。しかし、規範としての文化を考察したとき、つまり文化が人々の道徳観念やそれらに基づく感情論を規定するものだと捉えるとき、それらは明らかになってくる

(3)日本の場合 ー恥の文化を例にしてー
たとえば、日本には恥の文化(shame culture)が根付いている、とベネディクトは述べる。彼女の定義によれば恥の文化とは、恥辱感を道徳の基本体系の原動力としている文化のことを示す。そしてそれは、罪意識を道徳観の基本体系の原動力とする「罪の文化」と区別をする。
彼女が、日本人は世間を気にするという時、彼女は同時に世間を気にすることこそが最良の徳のひとつであると述べたことをも忘れてはならない。つまり、他人の顔色を伺ったり、世間体を気にしたりだということがらは、現代社会においては過剰されたもののそれとしてはマイナスイメージが付着しているが、ベネディクトはそうではない、むしろプラスに賞賛される文化社会という神話を日本に見出すのである。彼女はもうひとつ、日本人の道徳観念に通ずる重要な行為として、「自重」(彼女はローマ字Jichoでこれを補足説明している)を挙げる。自重は、世間を意識することによって導かれるものである。彼女は、日本人が「世間などなければ自重しなくてもよいのだが」と言う場合のことを、「極端な言い方」「強烈な反応」だとか記述する。 つまり、彼女は外部化された視点に立っているから、世間体や周りを気にすることをーこれが、たとえば「和の文化」とでもいわれるものなのだろうかー徳と感ずるわたしたち日本人のことを奇異に感じているようである。


(3 加えて、規範としての文化を、複数人の人が共有していることを必要とする。なぜなら、個々が抱く文化と全体としてのそれは、やはり妥当する範囲においても違いがあるからである。
(4 ルース・ベネディクト著「菊と刀」(講談社学術文庫、2005)271-2頁。

 そうしてかようの外面を整えようとする規範文化においては、恥辱感といったものが徳目におかれる限りは、わたしたちは内面のせきららな告白など、しようとはしないのである。自己の外面的要素を価値におくこの恥の文化が妥当する範囲においては、「告白はかえって自ら苦労を求める」とベネディクトは述べるように6、自ら進んで内面的告白などそうそうしない。反対に、「罪の文化」では、徹底的な罪意識などを、例えば懺悔といった習慣・制度が示すように、それはむしろ積極的に告白することで自己が感じる煩悶とかいった苦しみを軽減させることがなされるのである。アメリカ人も普通に恥辱にさいなまれることはあるが、日本人がそれにまとわりついているのとは明らかにレヴェルが下がったものとして日常が営まれているらしい。

(5 前掲脚注4 270-7頁。
(6 前掲脚注4 272頁。



(4) (3)のまとめ
3節での話を主体性への話に戻そう。 つまり、自分の内面的な事柄を告白するか・しないか/だまっているか・言葉に還元させるか、といった内容は、恥の文化が妥当する日本社会においては、大きくかかわってくるファクターなのである。自重という言葉がまさにその字義通り示すとおり、恥の文化内においては、自己の主体性よりも、世間への自重のほうにより比重がはたらく。つまり後者の方がよりよく賞賛され、価値付けられ、高められる。ここでは、自己の主体性といったものは自らが、また文化社会が規定する恥の概念のもとに大きく作用される、といえるのである。

(5)主体性を究極の価値たらしめるもの

往々にしてこの主体性というものは、自由の尊重というひとつの理念に裏付けれている。そして、次のことが重要である。そのように裏付けられた主体性は、いったい何に向かってその価値を最大限のものにあげるのだろうか。

実存主義の提唱者として語られるサルトルは、この自由で主体性をもった人間というものは、えてして歴史の発展、ひいては人類の発展を促す方向に働くものとして重要であると説示する。例えば、19世紀末以降での民主主義と自由主義の結合、革命による社会主義(国)の誕生、そして共産主義を、これをある系譜のもとにすなわち発展していくものとしての見方がある。そして、後者の人類の発展といった事柄については、ダーウィニズム・進化論などが関係している。サルからヒトへ、などといった進歩は、いち学問の中だけに見出すのではなく、人類からその先へと未来に向かって彼の発展を考えるものである。

上のような基盤のもとでは、時間というものは一直線に、しかも上向きに向いてあるとも捉えることが可能である。実存主義は、そういった歴史や人類の向上という所に何よりも意義を見出した。窮極の価値は、そのような上向きのところに伸びているという限りにおいて付与されるものであった。主体性をもって、それらの課題・未来に向かっていく、という限りにおいて、主体性は大切な概念であったのである。

(6)実存主義を超えて
しかし、小節(4)でみたとおり、ある一定の文化の範囲では、主体性が別の理由(自由・不自由、歴の発展等から排されるわけではなかった)によって否定・軽視される。また、2度の20世紀における世界大戦を経て、私たちは一層に、自分達の作り上げた思想や行動を反省する必要に迫られた。
つまり、空間的にも、時間的にも、実存主義、「主体性をもつことによって歴史や人類の向上を目指す」、という神話は、まさに文字通り神話としてみる見地が広がらざるをえなくなった。主体性は、場所的にも時代的にも普遍性を失ったのであった。

現代はポストモダンの時期だといわれるが、実存主義が終焉を迎え、構造主義もいったんの休憩を見、今そういったものを乗り越えての、新たなる統一した世界観が、永らく模索されている。
そして戦後日本においては、個人の尊厳というある一つの理念が、それとして標榜されている。それは、行動の主体を個人に還元させる可能性にも契機を与える。個人主義社会といわれて久しいが、現代を生きていくためには、個人個人がよりいっそう強い軸をもつことを余儀なくされた。その中で、主体性もおおきなひとつとして扱われる。

 私たちがはじめにみたように、わたしたちは常に主体性をもって言葉を話しているとは限らない。同様に、常に主体性を持って各行動をするといった器用な人類でもないのだ。それを、ニヒルに捉えるのではなく、一種の事実として受け止め、私たちがなにができるのかをひとつずつ模索していくのも、また時代の要請であろう。文化人類学者レヴィ=ストロースの、「われわれはてさぐりでやっていくしかない」という言葉には、文化人類学の手法としてのそれだけではなく、私たちが生きていく上での、一つの指標として働くことがある、と言えるだろう。


(7 小野功生監修「図解雑学 構造主義」(2004, ナツメ社)14-7頁。
(8 川田順造「レヴィ=ストロースから学んだもの」『現代思想 1月号』(2010, 青山社)51頁。



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