こにちはっ、ミスティです☆彡今日は江戸川乱歩の作品「芋虫」についてちょっとば(ちょっとば?笑)。
@江戸川乱歩の「芋虫」
とかくこの作品は恐ろしい。江戸川乱歩の風変わりな怪奇文学と言われる所の要素がつまっている、と思います。
以下は、「芋虫」の内容も触れたりするので、た・楽しみがっ!って方はスルーをオススメしておきます笑 はい。
前提として見落としてはいけないのは、乱歩のあまりに豊かな描写です。平面である所の文字体から、五感を、そして更にシックスセンスとでも言われるような、風景描写の怪しい感覚までをも感知させる所があります。
これは、少なくともそう体験させられる読者にとってみれば、並々ならないことです。コミュニケーションの果てを越えている。そこに、文芸ならではの怪談、というスリルを十分に楽しむことができます。
そして、「芋虫」も、その例外ではありません。乱歩が設定したいくつもの事柄、すなわち登場人物の容貌、性格、生い立ち、舞台の外観、語られる物語の前のストーリーなど、幾多にもわたる場所において、その手腕をいかんなく発揮させています。
しかし、この「芋虫」の魅力は、さらに違う所にある。 それは、これを読みおわった後の途方もない気持ち悪さです。その気分の悪さは、確かに描写のあまりの濃厚さゆえの所もあると思います。しかし、次の事柄を忘れてはならないのではないでしょうか。
この主人公は、最後の妻の行為によって、完全に人間性を引き剥がされた…? 心も、そして身体までも?そしてそれが、猿どころか、僕達がしばしば「気持ちの悪いもの」、とイメージを貼っている、うにょうにょと動く「あの」芋虫と等しく同じであると、宣告した…?
これは、大変に恐ろしいです。ここに、乱歩ゆえんの怪談の面白さが最大限にも現れていると考えられます。 つまり、文芸の範疇でありながら、この作品の作者は、どうやら主人公を人間から芋虫のレベルに落とした、見放した、と錯覚してしまうことが起こりうるのです。そして、それを受けてか、読者としての私達も、芋虫と化してしまった、かつては人間であったはずの主人公の成れの果てと、対峙し続けなければなりません。
物語は、容赦しません。芋虫から、私達が抱きがちな「気持ち悪さ」を引き算させることを許しません。かわいらしい芋虫だとか、慣れしたしんだ芋虫とかのイメージ、ラベルに転換させるのは、難儀です。いずれにせよ、物語の中では、「汚いもの」「気味の悪いもの」「触りたくもないもの」といった属性をもつそれのイメージを、人間であるはずの主人公に押し付けます。そこで、読者自身も酔ってしまうわけです。この物語の中で、私は彼が「あの」芋虫になることをまざまざと見せつけられてしまった…、と。
以上のような、マイナスのイメージは、僕らが勝手に芋虫に付けたものです。ただ、そのイメージを付けたことによって、次のような思い・概念が生まれます。「僕らは、「あの」芋虫とは、違う筈だ」。
そしてこのような心象に対して、乱歩は、人間と、それから忌み嫌われるものとしての芋虫の交錯を見事に叩きつけます。だから、後味悪く感じる読者もいるのです。
これは、面白い事柄です。怪談・小説はもちろんフィクション、虚構の世界です。ただ、乱歩が見せた人間倫理観をそれとなく感じとってしまうと、やはり一瞬ではありますが、現実の僕達の倫理観を参照せざるをえなくなります。
だから、この芋虫という話は、怪談話の範囲で実に良かった、とも思えるのです。怪談、フィクションの世界だからこそ僕達読者は楽しむことができる。これは、素晴らしいことだと思います。
特に、登場人物の立場になって読み込もうとする読み方は、この物語にとっては、ある意味危険で、だからそこ楽しいとも言えるでしょう。
ここにおいて、英語圏由来のホラーとは違った概念の、「怪奇」を見いだすことが可能です。驚かせるのでもない。怯えさせるのでもない。
ただ、自分の内面、奥のそのまた奥の方から感じる一緒の気味の悪さが、醍醐味とでも言えるでしょう。世界の乱歩、とかあまり聞きませんが、このような、「ズレた」文芸は、しかし、世界の文学と比べても少しも引けをとらないと思います。
よく似た、怪談ではないのですが、話としては安部公房の「棒」などがあります。これも、恐ろしいです。恐ろしい、ちょっと気分が悪くなる、と感じる読者にとっては、「芋虫」の話と似たような、人間倫理観を、自己の内から問わせるようなオートマチックな仕掛けになっている、と読むことも可能です。
いずれにせよ、それをちゃんとフィクションの世界であるところの「怪奇」に、包み込ませていることはどのみち素晴らしいことでしょう。現実と虚構をいったりきたりさせて、その意味で私達読者の心持ちをある種混乱させ、愉快にさせ、でも最後にはフィクションだからといって現実世界に戻らせてくれる。
純粋で、だからこそ今なお力強い、怪奇・怪談の源泉、それが乱歩の作品だと考えられます。
お終い(*´∇`)
ミスティ
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COMMENT
「芋虫」を読んでの私の感想
misty さんの、「芋虫」を読まれての感想を拝読して、私も江戸川乱歩の「芋虫」を読みたいと思っていました。私は四月か五月にいくつか発行されている‘江戸川乱歩傑作選‘のうちの一冊を入手して読んだのですが、この「芋虫」は、misty さんがおっしゃるとおり、とても怖い物語で、私は一気に読めませんでした。
結局、怖いと感じるところを飛ばし読みしての、私の読後感は、misty さんの感想と重ね合わさるものでした。
misty さんは、「芋虫」という文芸作品を綿密に分析し、全く的を射た感想を述べていて、私はそちらのほうに深く感心したのですが、私の読後感を言えば、「芋虫」は確かに傑作の部類に入るとは思うのですが、私にはこういった類の物語は怖くて苦手だなぁという、その思いだけでした。
江戸川乱歩の傑作選の中に入る作品の一つですから、misty さんのおっしゃるとおり、文章のうまさ、筋書きの確かさ、また心理描写にしても、小説として第一級以上のものだとは思います。そしてまた、乱歩のいくつかの作品を読んで、作家として要求される卓越した想像力、緻密な思考力と豊富な語彙等で、江戸川乱歩は小説家として素晴らしい資質を備えた人なのだとも思いました。
>これは、面白い事柄です。怪談・小説はもちろんフィクション、虚構の世界です。ただ、乱歩が見せた人間倫理観をそれとなく感じとってしまうと、やはり一瞬ではありますが、現実の僕達の倫理観を参照せざるをえなくなります。
misty さんも、上記のようにおっしゃっていますが、人間にとって最も大事な倫理観が怪奇小説等では背後に隠れてしまうので、想像力豊かな物語としては読み応えがあるものとはなっても、一般的・普遍的とはなり得ず、その意味で、乱歩の優れた才能を私は少しばかり惜しいと思いました。
でもこれは、たった一冊の‘江戸川乱歩傑作選’を読んでの私の感想として、「芋虫」についてのみ言えることであり、乱歩の他の作品「二銭銅貨」等は、読み物としてとても面白く、乱歩の卓越した想像力と作家としての資質に私はただただ感心し感嘆するばかりでした。
misty さんは、乱歩同様、優れた才能を持つ方ですから、「芋虫」における緻密な心理描写や巧緻な筆致力に共鳴して、乱歩の作品の中でも特に「芋虫」を作品批評の分析材料として取り上げたのだろうと思いますが、私としてはmisty さんの文章を読むほうが、その中に考えさせてくれる要素が沢山あって勉強になります。
「芋虫」を紹介してくださったことで、私は、江戸川乱歩という豊かな才能を持つ作家の人となりを知ることができて、それが私には大きな収穫でした。
そのことに対して、私はmisty さんに感謝したいと思います。
chandi
チャンディー様
一読、ありがとうございます!
小説の感想文は、このブログには珍しいものです笑 僕は読んだ本の感想とかエセ分析は、いつもぼやっと頭に浮かぶのは浮かぶのですが、やっぱり芋虫のようにとにかく思ったことがいっぱいある!という作品に出会えることは稀なようです。
つまり、芋虫を読んだ後は誰かにでもこの気持ち悪さを伝えたい!となった、本当に珍しい作品でありました。
今でこそは、この作品の感想を載せることに多少の意義はあったと思っています(生意気ながら。) それは、乱歩のひときわならぬ人間観です。これを読書越しに僕らが参照することで、自己の人間観の相違や質の違いの程度などをみて、何かに活用することはできるはずだからです@
>misty さんも、上記のようにおっしゃっていますが、人間にとって最も大事な倫理観が怪奇小説等では背後に隠れてしまうので、想像力豊かな物語としては読み応えがあるものとはなっても、一般的・普遍的とはなり得ず、その意味で、乱歩の優れた才能を私は少しばかり惜しいと思いました。
確かにそうですね! しかし、乱歩はあくまで小説家であり、ストレートに出してもよかった奥底のものを、あえて小説という形式を取ることで変化球のように読者になげうった。 その小説家らしい態度が、とても僕にはカッコよく思えました。
この人は表現家、などと素直に思えたことが、僕にとっては一際大切な事柄でした。