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発信主義。:「抱えるくらいなら、発信【発進】せよ」 **** mistyの目に映る様々な社会現象を、考察・検討を通してグダグダ考えましょう。

フルハウスは嗤う

   

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個人について


こんばんは、遅い時間に、mistyです(*^。^*)

個人について、と題しまして。

最近では、本当によく”個性”の声が上がっています。個性の時代、と言う人まで、増えるようになってきました。

こうした一連の、各人の個性に重きをおく考え方や思いは、個人主義の流れをひいているとみることができます。
個人主義とは、主に戦後からバブル期にまで見られていたとされる、特に行動の場面での、集団主義を反対の極に置く考え方や思いです。

個人主義の内部に、個性主義が内包されている、と説明することもできるかもしれません。
 そして重要な事柄は、この個人主義は深化しているということでしょう。

もうひとつ、最近コエダカニ叫ばれている事柄の中に、”自立性”というものがあります。
説明するまでもないことです。
もうひとつ、”主体性”というものもあります。
 ちなみに主体性については、過去の記事で、簡単な論考をしました。主体性に関しては様々な議論や論考が今でも残っています。

私は、上の、”個性”、”自立性”、”主体性”の、この3つが、ある一つの線・ラインを形成して、個人主義を益々強めているように思います。
これが先に言った、個人主義の”深化”です。

しかし、日本では面白い事に、なおそういった個性をいわば摘み取る、重きを置かない、没個性的主義も残存しています。 「自重」の観念です(これも、主体性についての過去記事で触れました)。

自重主義とでも呼べるのか、様々な局面において、社会では自重することをよく有形的・無形的に要求されます。こういった社会が、日本特有のものであると言ったのが、ルース・ベネディクト「菊と刀」でした。

一方では個人に飛躍を与えるイデオロギーがありながら、他方ではそういった個人を現前化させようとしないイデオロギーもある。
現在の日本は、この2つの異なる要請を持つ声に、翻弄されている社会になっていると、私は思うのです。

そして、ほかならぬ、わたしたち”個人”が、こういった局面において同じように翻弄し、さまよっている。もしくは、さまよわさせられている。これが、現状の姿なのでは、と考えられます。

自重すべきか、それとも現前化させるべきか・・・。この2極をもって、迷ったりするという構造がある。
例えば、今では比較的落ち着いた言葉ですが、2008年くらいのころから「KY(空気読めない)」という言葉が流行ったりしました。 
このKYという概念は、まさに上のような2極の迷いの中で、あったのではないでしょうか。例えば、場の雰囲気を察して、”自分”を出すべきタイミングではなかったにもかかわらず自分を出してしまって、KYだと宣告されるような場合です。

個人主義は、こういった日本”特有”の文化圏の中で、迷いの位置にもあるといえます。自重を重んじる社会では、こういった主義はなじまないどころか、攻撃を受けるからです。

これから、”個性””自立性””主体性”の3点を基軸に置いた個人主義がどうなっていくか、非常に興味深い・懸念されるべき事柄だと思っています。

そんなこんな。

misty @

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無題

  • by チャンディー
  • 2010/02/28(Sun)15:24
  • Edit
misty さん、こんにちは。

「個人について」のmisty さんの意見を読ませていただいて、この記事に関しては、私にも割とよく理解できましたので、読後感などを寄せようかと思い、書き込みをしております。

misty さんのブログに関して、書かれる記事のその多くが、残念ながら私には少し難しすぎるようで、それで私は、おいそれと書き込みできないなぁという気後れを感じてしまうのです。でもこれは、私自身の知性の不足にすぎないことですから、私としても、もっと多くのことを学んで知性を高める努力をしなくてはと考えているところではありますけれども、、、。
また、このような私の愚痴?によって、misty さんに、もっと易しいことを書いてほしいと願っているわけではありませんので、念の為申し添えておきます。


余談はさておき、、、

日本人の一般的個性・個人性については、基本的には、misty さんが記事の中で述べられた主旨のとおりであろうと私も首肯いたします。
ただ私のような団塊世代に属す者の観点からでは、概して今の若い人たち(団塊世代の子供たちとそれ以上に若い世代の人々)は、今日我々日本人が手にしている自由を、放逸放縦とも言えるほどに謳歌?誤用?しているように思われ、「自重する」という観念はむしろ欠如しているのではないだろうかと私には思えるのです。
しかしこれは、実際には、人それぞれの個性・人格(私自身は、「個性」を「人格」と言い換えてもよいとも思っています)に拠ることなのかもしれません。
と言いますのは、賢明な思慮分別を以って礼儀を弁えて人生を処する人も、思慮分別に欠け、その生において利己的な振る舞いが目立つ人も、老若問わず、それぞれの年代の中に万遍なく存在しているように思えるからです。

misty さんは、「“個性”、“自立性”、“主体性”の三つが、一つのラインを形成して、個人主義を益々強めている、そしてそれが個人主義の“深化”である」と述べていますが、私は、それはそれでとても良いことだと考えます。
これからの時代、自分自身で考え、自己の主義主張とするような確固とした考えを持てずに、烏合の衆となりえてしまうような人々が生み出されてはいけないことだと、私個人は考えますので、個性、自立性、主体性は、人格形成の上で非常に重要な要素であると思います。それに加えて、むしろこれらの資質を確立することなくして、人は、人間的成長を果たせないと私は考えています。


>一方では個人に飛躍を与えるイデオロギーがありながら、他方ではそういった個人を現前化させようとしないイデオロギーもある。
現在の日本は、この2つの異なる要請を持つ声に、翻弄されている社会になっていると、私は思うのです。

>そして、ほかならぬ、わたしたち”個人”が、こういった局面において同じように翻弄し、さまよっている。もしくは、さまよわさせられている。これが、現状の姿なのでは、と考えられます。

>自重すべきか、それとも現前化させるべきか・・・。この2極をもって、迷ったりするという構造がある。


上記のようにmisty さんはおっしゃいますが、私は、「個性・自立性・主体性」の深化と、「自重」は、個性・人格形成の上で必ずしも相反する観念だとは考えません。
私は、私たちが人間としてより善き人間・優れた個性を持つ個人となるために、各人が「個性・自立性・主体性」というこの三つの資質をより深めていくとともに、「自重すること」の大切さも理解し、それを身に体現していくことも、非常に大事なことだと考えます。

人間各個人が、個性と自立性と主体性をしっかりと確立して、そして社会という人間集団の中で自己の生を生きようとするとき、精神的に進歩した人であるならば、自ずと「自重」という観念も生じてくるはずのものであり、そしてそのような観念(「個性・自立性・主体性」+「自重」)を持って世の中で自己を社会と調和させて、より善き生を生きていける人こそ、人間として成熟した一個人と言えるのではないだろうか と、私は考えるのです。

ですから私は、もし私たちが「個性・自立性・主体性」を確立した一個人としての自覚と自信があるならば、misty さんが示すところの、ネガティヴな社会的観念の圧迫で、「さまよっている。もしくは、さまよわせられている」という、このような考えは、おそらく生じないであろうと思います。
私たちは、「迷ったりする必要は全くない」のではないでしょうか。
私たちは、人間一個人として、自己の自立と主体性を深化させていくべきであり、そして自己の生き方に関する思考を極めたところの主義主張を持って、与えられたこの生において成熟した人間となるように切磋琢磨して生きていけばよいのではないでしょうか。

もうひとつ、私が言いたいこととして、現代社会には、misty さんのような、若くても優れた思考力と理知を具えた人々も多く存在していることだろうとは思いますが、一方で、老若を問わず、思考力を持たない、あるいは考えようともしない、精神性において向上しようする気持ちを持たず、安易な生?怠惰な生?に流されている人たちも沢山いるというのも事実でしょう。
ですから、misty さんのように精神性において秀でた方々が、人生・社会・世相・生き方等、人間の生におけるさまざまな事象を深く考察して、人々および物事を進歩進化の方向へ押し進めてくれる思考や観念を私たち大衆に示してくださることで、私たちの意識改革が徐々に進んでいくことだろうと思います。
その意味で、私は、misty さんのますますのご活躍を心から祈念いたします。

ところで私は、書き込みするというよりも、自分の意見を開陳するというような図々しいことを仕出かしましたが、misty さん、私の意見に対して、これは誤っていると思うようなことがあれば、どうぞご遠慮なくご指摘ください。
それによって、私も再度考え直すことで、自分の考えを深めていくことができると思います。宜しくお願いいたします。

無題

  • by misty
  • 2010/03/16(Tue)01:23
  • Edit
チャンディーさん

返事が大変遅くなってしまってすみません!汗

 実質、氏の方がこの問題についてより深くお考えになっているのだなぁという感想です<(_ _)> 苦笑
 ですから、私の方から特にここの部分が?というのも、ありません@ むしろ、チャンディー氏の意見に、なるほどと思わされます。

私が記事を投稿して伝えたかったのは、一方でいわば無責任に「個性」を重視する社会の枠が存在し、一方では未だそういった「きわだったもの」「飛び出たもの」を良しとしない自重観念を重視する立場があって、これらは時に矛盾するといったことでした。
他ならない、私が、このような2つの枠に挟まれているという感じをとても受けるのです。

氏の意見を聞いて、確かに、全ての人ががんじがらめになっているわけでもないんだな、ということを意識しました。

そんな感じです!

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学生をやっております。
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音楽を聴くこと、観ること、演ること、造ること。
映画鑑賞。静かな空間。くたびれた電車の中。美術館。
江國香織。遠藤周作。田口ランディ。

*苦手なモノ・コト
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