忍者ブログ

発信主義。:「抱えるくらいなら、発信【発進】せよ」 **** mistyの目に映る様々な社会現象を、考察・検討を通してグダグダ考えましょう。

フルハウスは嗤う

   

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

iPod片手に歩く若者達 part1


 どうもこんにちは、mistyです。
前回の記事ではどうやら名乗ることを忘れてしまっていたようです笑

 さてさて、みなさんは、車でお出かけだとか電車で通学だとかの場面で、手持ちぶ沙汰なとき何をしていますか?( ^)o(^ )
私は、ウォークマンの大ヒット以来より、CDウォークマン→MDウォークマン→iPod(Classic)、と世相にも合う(?笑)形で、ようするにほっとんどの時間、携帯音楽機器を持ち歩いて音楽聴いてました。
中学から高校までが、学校までいつも片道40分という感じだったのでウォークマンを入手した時の喜びはハンパなかったです(笑) やったぁ音楽いつでもどこでも聞けるじゃん! みたいな。

 歩行中でも、よくiPod片手に音楽聴いてます。 で、多分一般的でないというかメチャクチャ特殊だと思うんですけど、私は片耳だけイヤホンつけてもう片方はつけないって癖があって・・・(笑) その癖の理由の一つには、両耳塞ぐよりも片方のほうが周囲の状況をどうやらより感知しやすいから、てのが。 ヴォリューム小で聴くのが基本的にキラいなんですね。(笑) それよりは片耳外してでも、ある程度の音量で・・・!みたいな、やっぱり特殊すぎますね(・へ・)
 でももう一つの個人的な理由があって、それは目の前の風景を音楽を聴くことによって意図的に色づける故というものです。私はこの行為を勝手に「カラーリング」と命名しています。
 なんでしょうね、ふと見渡すと何の感慨もない風景であっても、音楽聴いてるとなんだかその風景が音楽に合わせて色とか物語とかメッセージとかを放つんですよ。 雨の日は、その静けさの中で爆音ロックを選んだりとか、快晴の時にはキラキラしたポップミュージックだとか。 こりゃあ面白いなぁと思って、そんな事を思いながら今に至るわけです。(笑)

はい、だから前置きが長い! 本記事は、以下よりはじまります。笑

iPodを片手に歩く若者達

と題して。
 前置きから話はつながるが、ウォークマンの登場とその爆発的ヒットと共に、街中でも電車の中とかでも携帯音楽機器を持ち、イヤフォンを付けて音楽を聴いている人の姿が多くなった。
 00年代に発売、そしてあっという間に同時代に世間に広まったiPodもその一つである。見渡せば至る所でイヤフォンを付けて街を歩いている、特に若年層が多い。私もご多分に洩れずその一人である(20代は若年層である笑)。
 以下では、iPodも含めた小型携帯用音楽傾聴機器(以下、単に「携帯音楽機器」と略す。)の登場と多くの若者ー若年サラリーマンや、学生を含むーによるその利用形態が、現実にどのような状況を引き起こしているか、1文化面からみたそれ2社会的道徳観念からみたそれ3社会的法観念からみたそれ、を検討し、どういった問題が生じているのかそれにどう対応すべきなのかを簡潔に述べたい。


1、iPodはファッション(文化の一形態)だ!
 ここはとっっってもサックリといきます(笑) 題字でも分かるように、携帯音楽機器を持つことは現代社会において、ある種のファッション性も帯びている、ということを私は鼻から認める。 Apple社が流しているCMの幾つかでは、iPodを片手に歩く若者をオシャレな感じで、平たく言えば一つの「個性」として描写しているものがある。
 現実の状況としては、殊に高齢層ーなぜかこういう時は決まってオジサンオバサン達から提起されるもののようだーから、「けっ変にかっこつけよって!」「なんねあんたそれ、イヤフォン付けっ放しで、耳聞こえん人でもないのに」とある種の不満が投げかけられる。 文化的社会面からこれをみる限りにおいては、「時代の変化と共に文化もいわば当然に変容する」というのが正論であろう。 つまり、単なるカッコつけでもないし、こういうのが端的に(今の)時代の流れの中であるの! と言えば、それでお終いである。
 

2、吉本ばななの記述からの問いかけ ー空間論ー

(1) 私的領域/公的領域
 まず、小説家よしもとばなな著「アムリタ」から、街の人の描写において以下のようなものがある(注1)ので、ひとつ引いておきたい。
(引用)

  ・・・だから、母に置き手紙だけして、彼女が戻る前に弟を連れて家を出た。聞けば、彼はもう一週間も外に出ていないそうだった。空気がおいしい、と彼は言った。
  ずうっと、安全な室内にいると、人間は家に同化して家具のようになってしまう。
町でよく見かける、外にいるのに服装も顔も室内のままな人。のっぺりして反応が鈍く、人の目をみない、ゆるみきった人。野性を忘れてしまった目をしている。
  弟にはそうなってほしくなかった。・・・   (引用終)

 さて、この小説のテクストからは、「室内」と「町」における人の在り様の違いが見てとれる。ばななに言わせれば、「外にいるのに服装も顔も室内のままな人」は、「野性を忘れてしまった」性質らしい。
 ちなみに私がこの小説のこの場面に遭遇したのはもう5,6年も前であったが、当時何となく思い当たる節があって「あぁーそういう表現を使うのかぁ巧いなぁ」と感嘆した記憶がある。

 ここではさしあたり、私的領域と公的領域における個人の態様に対する道徳的観念から見た区別の実益、という形で問題を転換しておくこととする。 つまり、私事(引用文においては、「服装」や「顔」等、つまりは「室内」=私的領域における個人のファッションや態度の取り方)を公的領域(「町」)に、そうそう開けかしてもいいものなのか、という事柄を、社会的道徳の見地からみるとどうなるかを考えたい。

(注1 吉本ばなな「アムリタ上」(2002, 新潮文庫)158頁4-10行より抜粋引用。)

***いったんここでタイピング止めておきます***
***また付けたしますが、終わりにはいかないでしょう(笑)

 早いが話、ばななは、-小説という、論理とは対極の「感覚」をベースとする形式を用いてはいるもののーそういった私的領域ではOKなことでも公的な領域内ではOUTなことがあるんじゃないの、と間接的に疑問を投げかけているのではないか、ということである。確かに、繰り返しになるがあくまで範疇は小説であるため、形式的に解してその小説から汲み取る事柄も所詮憶測に過ぎないという批判も成り立ちうるかもしれない。しかし、社会的引きこもりの問題等を前提としているような文脈(引用文より、「ずぅっと、安全な室内にいると、人間は家に同化して家具のようになってしまう。」のセンテンスなど」)があることを鑑みると、この個所から社会的道徳の観念の事柄を引き出すことに特段の無理はなかろう。

 さて、赤字の部分をもうちょいカタい言葉に置き換えてみる。私的領域/公的領域を便宜上区別したうえで、それぞれの領域で要請される個々人に対する道徳の質が違う、ゆえに「のっぺりとして反応の鈍」い態様は公共性を帯びる公的領域の中では望ましくないのでは、という主張になる。これには、一定程度の妥当性があると評価してよいと思われる。 場のわきまえ、というのはよく個人の道徳の場面でも引き合いに出される話であろう。

(2)社会心理学等のアプローチ

 私がばななの文章を引き合いに出したのは、言うまでもなく、
携帯音楽機器を持ち歩く人には同様の共通点がかなり見てとれる

からだ。 逆に、イヤフォンを付けながら周りに注意深く気を張っている若年層の人をみつけるほうが難しい。
 しかし、括弧1で述べたような、要するに「公」「私」をある程度わきまえろ!という要請からだけでは、この現象を完全に語りきってはいないように個人的に思えた。そのわきまえろ論を仮に推し進めるとすると、iPod身につけて電車の中で音楽聴いたりする人全てが公私の場の区別をわきまえていない、ということにもなりかねず、それはおかしいだろうと思う。

 次に、情報社会に生きる都会の人間を分析したミルグラムの過剰負担環境の話を簡単に紹介する(注2)。地方と都市を比較したとき、人・モノ・広告(普通広告と勧誘行為どちらも含めて)などを媒介として、それらを「情報」と捉える。その時、その総合的情報量は圧倒的に都市での方が多い。こうした情報氾濫の状況下では、人間は短時間処理(最小限の情報だけを伝えようとすること)や情報の排除(自分にとって必要な情報だけ取り入れる)などの行為を取る。そして、そのぶんだけ人的コミュニケーションも地方でのそれに比べると抑えられてしまうので、「都会の人は冷たい」というイメージを形成する、らしい。

 なるほど、この話でいけば、iPodの例は上の「情報の排除」にあたりそうである。イヤフォンを付けるという行為は、自ずから自分の外にある世界とを遮断し、自閉性を獲得する。

心理学とは畑を別にするが、日本哲学者の鷲田清和の身体論なども、まったく同様とは言えないが似たような話を展開する(注3)。

(注2) 渋谷昌三「面白いほどよくわかる! 心理学の本」(2009. 西東社)68-9頁。
(注3) 鷲田の身体論からのアプローチも大変に興味深いが、本記事では便宜上省略する。

(3)から入るので次につなげます~(=^・・^=)

misty @

拍手[0回]

PR

COMMENT

NAME
TITLE
MAIL(非公開)
URL
EMOJI
Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
COMMENT
PASS(コメント編集に必須です)
SECRET
管理人のみ閲覧できます

無題

  • by nnd
  • 2009/12/22(Tue)03:33
  • Edit
冬のこの時間に缶コーヒーを片手に音楽聴きながら、降る雪の中散歩するのは最高の癒しです!
まだ雪に出会っていませんが…

ってか、関係ない話だす。笑

無題

  • by ミスティ
  • 2009/12/28(Mon)13:01
  • Edit
>nnd

なんとなくわかる気がするー!
オレ的にはそれもカラーリングの行為の1つだけどね(笑)
音楽はやっぱり素晴らしいってーハアト

TRACKBACK

Trackback URL:

カレンダー

02 2024/03 04
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31

フリーエリア


音楽をはじめとした、「芸術・文化」の在り方を検討して、そこから日本社会のあるべき構造を考え出していくのを目的としています!
私にとっては、新しい試みです。

最新コメント

[05/19 backlink service]
[05/05 Kame]
[09/27 misty]
[09/27 A子]
[07/07 misty]

最新トラックバック

プロフィール

HN:
misty
年齢:
35
性別:
男性
誕生日:
1989/03/19
職業:
学生
趣味:
読書/音楽鑑賞/音楽制作/小説執筆/美術館巡り
自己紹介:
学生をやっております。
*好きなモノ・コト
自分哲学すること。
音楽を聴くこと、観ること、演ること、造ること。
映画鑑賞。静かな空間。くたびれた電車の中。美術館。
江國香織。遠藤周作。田口ランディ。

*苦手なモノ・コト
喧噪。口論。理論づくしの人。
早起き。健康的な生活。
デスメタル。精神性のない形骸的ロック。


バーコード

ブログ内検索

P R

カウンター

アクセス解析

カウンター

Copyright ©  -- フルハウスは嗤う --  All Rights Reserved
Design by CriCri / Photo by Geralt / powered by NINJA TOOLS / 忍者ブログ / [PR]