こんにちは~。mistyです。
ここ最近の、禁煙[運動]には、少し、ん?、と感じすぎる所があります。
これはあくまで、個人的な感情です。
まぁつまり、反対をされればされるほど、それは本当に正しい[運動]なのか? 、と。
まぁひねくれ者ではありますから。笑
僕は、たばこ禁煙[運動]には、そもそも、消極的なんです。
それは、[運動]を推し進めることで、例えば禁煙政策を慣行することなどで
、逆に喫煙者の肉体的・精神的な健康を、損なってしまう、と考えるからです。
割合ではなく、たばこを吸ってそれで生活をしている人は何人も存在します。 禁煙運動は、吸わない人から、吸う人への、暴力的な押しつけ[運動]である、と断言してもいいくらいです。
ちょっと別の視点に入る前に、一つ言っておかなければならないことがあります。
ちなみに、私は、たばこは吸いません。
しかし、それと私があれこれ言っていることは、あまり関係がありません。
だって、私がたばこを吸っているか吸っていないかは一要素に過ぎませんから。
もうちょっと言うと。
たばこを吸う人が、反・禁煙的な言説を/ たばこを吸わない人が禁煙的な言説を するべきだ、という構図は、正しくありません。
ランディ氏が、死刑問題をめぐる賛成派と反対派の[対立]について、同じような構図で彼女自身も述べています。
ひとえに、大型掲示板に見られる、おそまつで批判にもならない非難言説には、人格と意見をごちゃ混ぜにしてしまっているものが多くあります。いや、現実の会話の交流でさえ、そうなっているものがひじょうに多い。
人間の意識の、仕掛けの一つのようにも思えます。
ともかく私はタバコは吸わないのですが、それとの関連を述べるという所から始める気は毛頭ありません。
現時点において、禁煙[運動]を疑問視する立場にたっていることを表明します。
*
さて、禁煙[運動]は、静的な暴力であると言った。これは、的外れなものではないと思う。
[運動]自身には、実に様々な種類のものであるが、この手の[運動]は、性質は静的な暴力である。
精神的な暴力と言い換えることもできる。われわれの、脳や心の奥底にある、深遠な思念への、静かな、しかし攻撃的な語りかけである。
(続く)
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