こんにちは。
何回も書き直してしまいました、このベーシック・インカム。
それだけ奥が深いってコトで。笑
すみません(平謝り)。
@ベーシックインカム-マイノリティたち
ベーシック・インカムを考えるとき、現代的な「マイノリティ」を考察しておくことは必要不可欠である。
両者は密接に結びついており、深く絡み合っている。
ベーシック・インカムのある一つの構想(※「一つの」、というのはミソである。誰しもが、以下に掲げるような定義をしているわけではない。山森×立岩「ベーシックインカムを要求する者」『現代思想 6月号』(2010、青土社)76頁参照。)には、
「社会構成員すべてに等しく、最低限または少なくともある一定の、所得を付与する」
というものがある。 これを「基本所得」または「ベーシック・インカム」とさしあたり定義しておく。
このようなお金の種類・内容については、それがどのようなものなのかよくよく考えてみなくてはならない。
例えば、これは憲法25条が明記しているような、「健康で文化的な最低限度」のお金、ということになるのであろうか?
もしそうだとすれば、ここで問題となるのは、ある一定程度の金銭は、それが「健康で文化的な最低限度の」生活を送るために必要となる、という前提である。
その目的を達成するためには、お金をかけなければならない。タダでは無理、というのである。
それでは、「健康で文化的な最低限度の」生活とは、具体的に何を指すのであろうか?
ここでその文言を、①健康で②文化的な③最低限度の生活、という風に便宜上分けて論ずる。
(1) ①健康で
健康の概念には、どのようなものが含まれるだろうか?
それは、病気でないこと、適切な老後生活、幼児期の健やかな成長、精神的健康など、さまざまなものが考えられる。
中でも、「病気でないこと」は重要である。現代社会は医療社会だといわれるように、人々は病気のない生活を送るためには、人それぞれに違いはあれ、何らかのところで医療にかかわりざるを得なくなってきた面がある。
大きなケガをすれば、例えば手術が必要になったり、あるいは入院が求められたりする。
そう、ここでのテーマは「医療費」である。
医療費はタダではない。時には莫大な財産をつぎ込んで病院に世話になることがある。
しかし、医療費には、バラつきがある。個人差がある。
その差には、もちろん偶然的なものもある。 たまたま事故にかかる回数が多かったりだとか、大病に見舞われることが多かったりだとか。
それらは、後発的事由である。それに対して、先天的事由によるものがある。
ここで登場してくるのが、障害者である。特に、先天的障害者。
@執筆中@
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