どうも、mistyです!
@問題解決―科学、哲学、宗教―
1、諸前提
私たち人間社会において行われること、行われるべきこと、好んで行われることは、すなわち
①何らかについての(社会的)諸問題に対して、②解決を実行すること
であると、私は考える。これを本稿では単純に「問題解決」と圧縮しておこう。
勿論、人間社会は様々な側面を持つものであるから、一概に問題解決だけがその本質ではない。しかし、問題解決の領域が相当広範であることは、うなずかざるをえないと考えられる。
問題解決=①何らかについての(社会的)諸問題に対して、②解決を実行すること
と抽象的に定義したが、もう少し細かく明らかにしておこう。
まず①の部分に関して。
私たちが生きるこの・社会には、ありとあらゆる問題が横行していたり、潜んでいたりする。
また、「これは問題だ」と、人が意図的にある事物を「問題」への変換することもある。A君がクラス中のみんなからいじめられていることが発生したら、A君をとりまく家族や教師、学校などが当事者となって、「これはゆゆしき問題である」と宣告する。おそらく、その宣告の時点から、A君がいじめられているという「単なる事実」は当事者の作為的意図によって、「問題」へとその質を発展させる。
また、「殺人はダメ!絶対」というように、かなり古くからの慣習の影響も大きくあって、問題の領域に確定されるものもある。
要するに、社会的諸問題はどのように発生するのか、何が(どのような”現象”が)問題視されるのか、問題となる原因・背景は何なのか、の基礎的な考察・検討が必要とされるのである。
例えば私が右腕を骨折したとしよう。これはかなり分かりやすい事例であって、骨折をほっておいたら悪化するのは社会の”常識中の常識”であるから、かならずお医者さんのお世話になる。 私やお医者さんが「骨折したこと」を「問題」と視ることによって直ちに、この現象の処理は進行することになる(X線を撮られた後、ギプスをはめて全治3週間と言われる…。)
これが、派遣切り、という現象についてであると、複雑性を呈してくる。 どのような経営判断があったのか、その人の収入状況はどれくらいなのか、精神的ダメージの程は…。 これらの考察を一つ一つ吟味して確定していくことで、「問題化」の処理が進行していくことになる。
何が問題となるのか、がポイントである。
次に、②について。
①の処理によって確定された問題を、どのように解決するのか。
先の例え話でいけば、骨折した現象に対しては、お医者さんという専門家の判断・技術の応用等の行為があって初めて、骨折は回復するに至る。
問題の、解決方法を思考する。そしてできる限り最良の策を選び出し、それを行動に移す。
これが②のステップである。
派遣切りの問題であったら、社会保障の観点から、生活保護をどの程度受けさせるのか、親類の支援は、などといったネットワーク上での解決が試みられるであろう。
私たち人間社会は、往々にしてこの問題解決の場面に出くわし、または自ら作りだす。
その時、科学・哲学・宗教の3者は、一体どの程度、この問題解決に役割を果たしてあるのだろうか、というのが本稿の記す所であるテーマである。
2、科学
(※続く)
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