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発信主義。:「抱えるくらいなら、発信【発進】せよ」 **** mistyの目に映る様々な社会現象を、考察・検討を通してグダグダ考えましょう。

フルハウスは嗤う

   

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芸術娯楽二分論 0

こんばんは、ミスティです。(*´∇`)

芸術娯楽二分論 0

はじめに

はじめに
 この一連の記事では、世の中であーだこーだ言われている「芸術」と、それから「娯楽」、及び両者の関係を考察する。 目的は、芸術とはこうだっ!とか、はたまた娯楽とはこうなんだっ!という、両者の本質を追及することではない(およそそういった真理の模索というのは、1人の人間がたった10年とかそこいらで成し遂げられるようなものでもない)。

 そうではなくて、芸術と言われているもの、娯楽だと言われているもの、お互いを一応区別することで、そのすみわけを考えることからどれだけ有益な考えや議論ができるかを追及することが、この芸術娯楽二分論という長ったらしいタイトルの記事の、目的である。
 芸術と娯楽は、よくその境目が分からなくなる。そしてその境目が分からなくなった時に、困ることがいくつかある、と私は思っている。その1つには、およそ産業とか経済の世界が抱える事柄があるだろう。

 例えば、日本の音楽界に、「相対性理論」というロックバンドが存在する。彼らは、06年に結成され、私たち音楽消費者の目の前には08年頃からその顔を見せ始めた(注1)。 
 まだ積極的な活動開始から4年足らずということもあり、あまり多くの人には知られていないアーティストである。聴いたことがない方にはネット検索で彼らの曲や動画でにでも触れて頂けると彼らの曲のカンジがつかめるので、幸い。

 彼らのリリースする楽曲達は、実に不思議なのだ。サブカルチャーにカテゴライズされるいわゆるアニソンの要素がかなり(しかもたぶんに意図的に)含まている、と思いきや、バンドとしての演奏が上品で巧いな、と純粋に思わせる所もたくさんある。

 ここに、「芸術」という名の箱と、「娯楽」という名の箱の2つがあるとして、相対性理論の曲群をいずれかに振り分けないといけないとしよう。 例えば彼らの代表作「LOVEずっきゅん」(アルバム『シフォン主義』(2008、みらいレコーズ)に収録)の、アニソンのようなエンターテイメント性を重視すれば、おそらく「娯楽」の箱に入る。それか、演奏の技巧性や音作りを重視すれば、「芸術」の箱に入るだろう。 はたまた、どっちも欠かせないからということになれば、この曲は分身でもするのであろうか。

 上のような例え話それ自体は空想以上の何の重要性を帯びないが、しかし、相対性理論が放つ「これは娯楽か、それとも音楽作品なのか?」という問いを実質的に考えることには、それなりに意義がある。それは、両者が持つ圧倒的な性質の違いからくるものである。芸術と娯楽はある面ではかなりの共通項を有するにしても、違う部分もたくさん見受けられるのである。 例えば、芸術はその性質上、窮極的に自身の美しさだとか完璧さだとかを志向する。もちろん、芸術と今日呼ばれているもの全てではないが、一般的にはそうなのである。 これとは対照的に、娯楽と呼ばれるものは、普遍性だとか世俗的かどうかだとかを志向する傾向にある。
 これを鑑みると、相対性理論の楽曲が娯楽の分野にからめとられるとすると、演奏の綺麗さとか音の独自性だとかの要素は捨象されることになる。反対に、芸術の分野にのみからめとられるとすると、大衆性だとか歌のキャッチー性だとかの要素もこれまた軽視されがちになる。

 以上は両極端な説明ではあったが、要するに「芸術」と「娯楽」の隣接点を曖昧にしておくと、あるものがどう社会的に捉えられどのように移行していくのか(例え話では、相対性理論というアーティストの曲群の、行く末)、といった現象が見えにくくなるのである。
 相対性理論は、昨今の一部の音楽家達の間に共通して見られるように、テレビやコマーシャルといったメディアへの露出があまりない(それでも最近わずかながらその神秘性が解かれてはいる)。 すると彼らはどちらかというと芸術志向なのか、それとも…? 一例をとっただけでも、芸術と娯楽をいったん区別しておいて、それからある現象を考察することの意義はあるように思われる。

 さて、芸術と娯楽の二分、といったが、それぞれが具体的に何を示しているのかも、一定程度述べないと全体像が見づらい。 これに関しては、本論に入った以降触れるが、ここでは簡単に「芸術=音楽、絵画、学術、文芸等の、文化や文明に資するもの」、「娯楽=遊び、楽しみ、快楽、癒しといった、日常生活に資するもの」としておく。
 ここではまた文化/日常、の区別が問題となるが、それも本論で触れる。


…おおよそは、このような雰囲気で話が進められていくことになると思います。だけんれども(笑)、私は「だから芸術と娯楽は区別すべきなんだってば!」「そもそも区別するべきでない!」とかゆう強い主張とかを、長く述べるつもりではありません(というか、どう考えるべきなのかは知らない)。繰り返し述べるように、一応世の中でも区別されている両者をじっと観察した時、そこから何が社会的に見出だされるかを考え、時に問題提起だけホイッとしようと思ってます。

大体が、この両者の関係なんてのを観念するのが難しい。(笑) 気長に、見守ってやって下さいまし。
まずは、芸術の方面から見ていこうと思います。
ちなみに、はじめにで扱った「相対性理論」のお話は、今後出てくる可能性はおよそゼロに等しいと思われます。(笑)


(注1)相対性理論のバイオグラフィーや作品等の詳細については、彼らのオフィシャルサイトを参照。本記事では、携帯からの投稿のためオフィシャルサイトのソース(アドレス)の提示を省いた。
相対性理論公式サイト http://mirairecords.com/stsr/ 

今回は、ご感想お待ちしています。(笑)
ミスティ @

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音楽をはじめとした、「芸術・文化」の在り方を検討して、そこから日本社会のあるべき構造を考え出していくのを目的としています!
私にとっては、新しい試みです。

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misty
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性別:
男性
誕生日:
1989/03/19
職業:
学生
趣味:
読書/音楽鑑賞/音楽制作/小説執筆/美術館巡り
自己紹介:
学生をやっております。
*好きなモノ・コト
自分哲学すること。
音楽を聴くこと、観ること、演ること、造ること。
映画鑑賞。静かな空間。くたびれた電車の中。美術館。
江國香織。遠藤周作。田口ランディ。

*苦手なモノ・コト
喧噪。口論。理論づくしの人。
早起き。健康的な生活。
デスメタル。精神性のない形骸的ロック。


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