責任概念の揺らぎ 続き
承前
(3) 責任の限界 -ボート事故を例にとって-
それではここで、あるボートの事故例を話の引き合いに出そう。
あるボート業者と利用者がいて、ボート業者Yは湖面Aを遊泳するのに最適なボートを貸し出ししているとする。
ある利用者Xがこのボートに乗ったところ、遊泳中に沈没して死亡してしまった。
このとき、Yの罪責はどうなるだろうか?
これを、業務上過失致死罪で構成すると、おおむね次のようになるだろう。
すなわち、Xが死亡に至ったのは、X自身に因るところもあるにはある。しかし、Xは、Yの貸し出しするボートの作業中に死亡したのである。Yは、ボートに対して最大限の安全を確保せしめる義務を担っており、したがってYを安全に遊泳させる義務に、違反したことになる。したがって、Yに過失があったといえ、YがX死亡についての罪(業務上過失致死)を負う。
このような所である。
ボート操業については、Yがその専門性を有しており、また貸し出しをして設けをしているからには、利用者の安全を保たなければならないという、業務上の義務を負う、とするわけである。
これが、近年の考え方の主流であり、新過失論に大きく依拠したものであるということができよう。
しかしここでは、もう少し仔細にこの事案を、法律的に見ていこう。
まず、利用者Xには、人一般の権利として、X自身を生命の危機から救う、自己防衛権を有していると考える。
それから、ボート利用についての、賃貸契約から派生する権利関係である。
まずボートは動産(民法86条2項)である。 権利関係としては、民法601条以下の賃貸借か、もしくは使用貸借と見るのが普通であろう(593条)。若しくは616条(使用貸借の既定の準用)。
606条には修繕義務が規定されている。少し見てみよう。
606条 (賃貸物の修繕等)
① 賃貸人は、賃貸物の使用および収益に必要な修繕をする義務を負う。
606条一項によると、賃貸人(使用賃貸人)は、物の利用若しくは収益のために、自らそれを改善する義務を負っていることになる。つまり、賃借人(使用賃借人)が物を利用しやすいように、賃貸人がその物の便を図るようにする義務を負うのである。逆に、賃借人は修繕請求権利を持つ。
例で言うと、湖面でボートを使用するにあたって、それが利用しやすいように改善、もしくはそこから収益行為を図るためのそれ(この場合、魚を釣ってそれを売るための修繕とかだが、この事例ではそれは考えられない)を、貸し出し人が積極的にする義務を負っている、ということである。
この規定があるのは、主に601条以下は土地の貸し出しに当たってを想定しているのであるが、借りる人がいざ借りてみるとなると、当該物件がボロボロでは意味がない(借りる人にとって十分な利益とならない)からである。十分な権利関係としての利益を図るために、相手方が修繕(契約当時に当たっては、少なくともボロのない物を想定している、というのが普通だからである:あまりにもボロの物を借りることを当初から想定しているとは考えにくい)をするのである。
ここまでみると、ボートの利用者は、まず大前提として自己防衛権(若しくは自己防衛義務)を持ち、それからボートを使用する権利(601条)、さらにボートを安全に利用する権利(606条)を持っていることになる。
本論はここからである。
利用者Yが死んだとして、それはどこに帰責性があるのだろうか?
ボートの機械の故障によって死んだのなら、それは故障するような機械がわるい、引いてはそのような機械の所有者として、ボートの貸し出し人Xの責任が問われ、民事では709条の損害賠償、刑事では前述した通りの業務上過失致死罪(208条)を負うことになるかもしれない。
しかし、この説明はまったく正しいのだろうか。
これは突き詰めて言えば、機械の故障が、直ちにXの責任につながるのだろうか、という極端な問いでもある。
Xがそのボートを作り、その貸し出しを業務としていたことは確かである。
しかしそのことが、本当に決定的な帰責性の原因となるのだろうか。若しくは、我々はそう考えてもよいのであろうか?
ここでは、機械の支配ということも同時的に問題となってくる。
(続く
( (4) 技術革新と生命支配の不可能性
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