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発信主義。:「抱えるくらいなら、発信【発進】せよ」 **** mistyの目に映る様々な社会現象を、考察・検討を通してグダグダ考えましょう。

フルハウスは嗤う

   

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4月に読んだ本(読書メーターより)

こんぱら! mistyです。 4月に読んだ本を、読書メーターさんの機能をお借りして書き残しておきます。
4月後半は忙しくてほとんど本を読む時間が作れなかったんですけどね・・・ 小説/教養本と、バランスよく読んでいきたい所です。

2011年4月の読書メーター
読んだ本の数:16冊
読んだページ数:3430ページ
 
■アイドル進化論 南沙織から初音ミク、AKB48まで(双書Zero)
★★★☆☆ 先行研究と比べてこの書物がどれほど新たな意義を発掘したのか、その見極めは難しいです。初音ミクやAKBへの言及は僅かで、それよりも前史をしっかりと追っていこうと。一般の人が読んでどれほど面白い社会学本なのかは?です…(-"-;)
読了日:04月30日 著者:太田 省一
http://book.akahoshitakuya.com/cmt/10897900
 
■白い果実
★★★★☆ 面白かった。初期設定の主人公クレイはかなりナマイキな性格だったので、第二部で囚人生活送ることになってザマアwwと思ったけど、第三部ではすっかり人間味を取り戻し、なーんか作者の意図通りにしか読めないなあと。世界観はすごいけど、展開はお粗末。ま、こんなものかという感想です。しかし続編は読みますねこりゃ。
読了日:04月30日 著者:ジェフリー フォード
http://book.akahoshitakuya.com/cmt/10895944
 
■現代思想2011年4月号 特集=ガロアの思考 若き数学者の革命
読了日:04月28日 著者:
http://book.akahoshitakuya.com/b/4791712250
 
■魔法少女まどか☆マギカ (1) (まんがタイムKRコミックス フォワードシリーズ)
読了日:04月28日 著者:原作:Magica Quartet,作画:ハノカゲ
http://book.akahoshitakuya.com/b/4832279904
 
■魔法少女まどか☆マギカ (2) (まんがタイムKRコミックス フォワードシリーズ)
★★★☆☆ 漫画だけど一応まあ。 3巻読んでみないと何とも言えなくはある。笑
読了日:04月28日 著者:原作:Magica Quartet,作画:ハノカゲ
http://book.akahoshitakuya.com/cmt/10861192
 
■かいじゅうたちのいるところ
★★★★★ 素晴らしいとしかいいようがない。大人になって読んでも、感慨深いお話。 家族からちょっとした疎外を受け、夢の冒険に旅立ち、それでも最後には暖かい家族の元へ帰っていく。幾つもの大切なテーマが織り込まれていて、幼少期にこれを読めて僕はある意味幸せなんだなあと感じます。 満点o(^-^)o
読了日:04月28日 著者:モーリス・センダック
http://book.akahoshitakuya.com/cmt/10861105
 
■てぶくろ―ウクライナ民話 (世界傑作絵本シリーズ―ロシアの絵本)
★★★★★ 読んでいてワクワク、ドキドキさせられる、夢の詰まった絵本。オオカミが出てきたあたりから、子供ながらに恐いよ〜と畏怖した思い出があります。 児童文学に幸あれ。
読了日:04月28日 著者:
http://book.akahoshitakuya.com/cmt/10861056
 
■LOVE理論
★☆☆☆☆ いや、本当に笑うことなしには読めない本で、多分1〜2時間で読める本です。 しかし!! 恋愛マニュアル本を活用したい人は、必ずこれ以外の本も手にしなきゃ! うん、まあ、嫌いじゃないよ。
読了日:04月17日 著者:水野 愛也
http://book.akahoshitakuya.com/cmt/10677174
 
■タルコット・パーソンズ―最後の近代主義者 (シリーズ世界の社会学・日本の社会学)
★★★★★ 社会学者パーソンズのざっくり紹介本。 リアルにパーソンズに惚れた。 「マルクスの構想した社会理論は、決して一般的でない、時代場所に特有の特別理論だ…!」とアツく語るパーソンズ。 尊敬する人になりました。
読了日:04月14日 著者:中野 秀一郎
http://book.akahoshitakuya.com/cmt/10630153
 
■俺の妹がこんなに可愛いわけがない (電撃文庫)
★★☆☆☆ 途中から主人公のモノローグをほとんど飛ばし。 作者はバラエティものとして意図したみたいだけど、うーんまあそうか! 続きは気にならないこともない…
読了日:04月05日 著者:伏見 つかさ
http://book.akahoshitakuya.com/cmt/10489729
 
■社会の科学〈1〉 (叢書・ウニベルシタス)
★★★★★ 社会における科学の立ち位置や機能、その本質をルーマンなりに解明。科学哲学ですねo(`▽´)o 難しい箇所はいくつもありましたが、「知の扉」でだいぶ助けられました! 2も近々読みます\(^ー^)/
読了日:04月03日 著者:ニクラス ルーマン
http://book.akahoshitakuya.com/cmt/10454437
 
■現代宗教意識論
★★★★★ 非常に総合的な書物で、筆者の博識ぶりを伺わせる。 イエスキリストの「意味」、法人の話が特に面白かった! 理論実践では殺人事件に絞って議論を展開していたけど、確かに様々の社会現象が宗教的な観点からも考察できる!という気がしましたo(`▽´)o うーん刺激的な一冊だったなあ
読了日:04月03日 著者:大澤 真幸
http://book.akahoshitakuya.com/cmt/10454219
 
■恋愛と贅沢と資本主義 (講談社学術文庫)
★★★☆☆  特別に刺激的というわけでもなかった。一般大衆に向けて、「奢侈」の概念から丁寧に話しているなーとは思ったが、もう少し細かい論理が欲しかった。 必読書には感じなかったな…
読了日:04月03日 著者:ヴェルナー・ゾンバルト
http://book.akahoshitakuya.com/cmt/10454173
 
■利己的な遺伝子 <増補新装版>
★★★☆☆  分かりやすく書かれ過ぎていて、逆に読む気力が失せた… 実は増補版じゃない方を手にとって読んだので、図書館に入り次第また挑戦しようかな。ちゃんと全体像も理解したいし!
読了日:04月02日 著者:リチャード・ドーキンス
http://book.akahoshitakuya.com/cmt/10435101
 
 
▼読書メーター
http://book.akahoshitakuya.com/
 

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「穴」

 こんぱら! mistyです。

明後日から、ゴールデンウィークですね! まぁ僕は、今までのダラダラした生活を反省するという意味合いも含めて、GWも勉強しますよええ。 がんばろっと。

今回は、書き下ろしの短編小説です! ちなみに「神田 初朗」というのはmistyのペンネームですので、あしからず。

訳の分からない文章に見えますが笑、何とか雰囲気を味わっていただけたら幸いです。

@「穴」

神田 初朗

 私は閉じる。あぁ、安息の世界。それは私に、同時に暗鬱をもたらしてくれる。

 目を閉じる。口をつぐむ。耳を塞ぐ。豊かなヴェールで身体をゆったりと包み込む。

 <全テノ穴ヲ、閉鎖セヨ。>

私は、安らかな眠りに抱かれている。母の温かさを思い出す。父の厳格さを忘却する。

 奥へ、奥へ。内部の、そのどんどん奥へ。

深みに踏み込んで、私は息もできない程の、マリンブルーやダークグリーンに染められた中心に導かれる。

 誰かが私を呼んでいる。認識はできるのだが、何と言っているのかは分からない。つまらない、些末な言説。

 深海へ、深化して、私は痛くもない、切なさもない、空っぽの心を胸に刻み込む。懐かしい声。固められた記憶。変化のない、無限の静けさ。

 あぁ、多分、ここにおいて私は死んでいるのだ!

 

 私は開ける。たちまち澱んだ空気が外へ放出される。素早くて賢い粒子と、長ったらしい関係性への参加が、私の内にどんどん流入してくる。

 目を開ける。口を開く。耳を澄ます。汚れた幾つもの衣服を剥ぎ取って、裸同然で私は世界の現前に立ち向かう。

 <全テノ穴ヲ、開放セヨ。>

私は、目もくらむばかりのまばゆい光に飲み込まれる。そこではスピードと、フレキシビリティと形容されるあの一連の暴力性が要請されるのだ。

 彼が、私を呼ぶ。彼女が、私を揺り動かす。私は、別の私に呼びかける。

 あぁ、目まぐるしくて。速く、速く、そして美しくて。

何物かが、私も知らないうちに、私の中にどかどかと入ってくる。それらの幾つかは依然として私の内部にとどまり続け、やがて私と一体となる。

 そうなれば、世界は私なのだ。大胆な言い方をすれば、私は世界となる。

外へ、外へ、拡がって、傷ついて。

 しばらく、私は私を見つけられない。オレンジとウルトラマリンブルーの色彩で形成されるこの環境の中において、全ては手の内をさらけだし、結合し、離反し、また進んでいく。私など、存在しない。いや、そうではない。

 あぁ、多分、ここにおいて私は生きているのだ! 絶え間ない動きの中で、形を変容させながらも、私はどこかで息づいて、そして誰かがそれを見て「お前は、お前だよ」と指示してくれるのだ。そして、<>は存在しうる。

 

 閉鎖と開放の狭間。幾つもの美しさと汚さを、幸福と不快を、宝物と傷跡をめぐって、流動する。誰も彼も、存在しないかのように。

 <世界ヨ、流動セヨ。>

 

(了)

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観察

 こんぱら! mistyです。

簡単なお話を。

@観察

もう現代知識界においてはほとんど一般教養のレヴェルにまで達したことであるが、「観察」という行為を深く考えてみると非常に面白い。

(近代/現代)量子力学が一つの重要な結論に達し、それは全ての学問・非学問分野に渡って、多大なるインパクトを与えた。そのインパクトの一つが、「観察」という行為/態度がどれほど不可解なものであるかということが科学的に説明されたということだ。

話はとても簡単である。私たちがごくごく普通の、日常的な観察を行う時。例えば誰でもやったであろう、小学生のときのチューリップの自然観察。 そんな日常的観察を行っているということが、実はもしかしたらその対象となっている日常現象に大きく影響を及ぼしているかもしれないということだ!
普通、小学生がチューリップの自然観察を行うとき、じーっと見つめてチューリップの花びらのスケッチを行っているとき、私たち人間はチューリップの花びらの様子が観察行為そのものによって変化するとは、予想もしない。それが、大前提である。水やりを忘れてしまいがちだったり丁寧に腐葉土の管理を怠ったりすれば、それは当然にチューリップの生育に影響を及ぼすことは自明のことであろう。ただまじまじとチューリップの花びらを眺めるだけでチューリップが枯れてしまったら、それは大事である(『魔女』『怪物』など、『一般人』とは似ても似つかない特殊な眼力や魔力を持つ例外的存在しかなしえない)。

しかし、観察する対象が、例えば人間であったとしたらどうだろうか。「人間観察」を行うとき、一般的大衆としての私たちは、それなりに困惑するのではないか。
例えば筆者は、個人的に、あぁこの人の日常生活をちょっとでいいから観察してみたいなぁ・・と思うことがたまにある。筆者は、家事(洗濯・料理・掃除)が比較的苦手な方なので、例えばいつも部屋をきれいにしている友人や毎日オシャレな格好をしてくる人の、<家>の中での彼らの立ち振る舞いを、ぜひとも観察してみたいのである。

ただし。 例えば筆者が、観察したいと思う人を1日中ずーっとまとわりついていたらどうなるか。
答えはおそらく、「相手はぐったり疲れる」であろう。
もっと突き詰めて言うと、筆者のまじまじとした目線を受けることで、何らかの影響を及ぼし、「その人が普段通り行っている生活行為」とはちょっとズレてしまうのではないか。

部屋のきれいなAさんが掃除をしていて、それを筆者がまじまじと眺める(話しかけたり、メモをとったりなどは全くしない。目線を送る=自然観察)。すると、Aさんはひょっとして、いつもなら間違える筈のない所で掃除機のコードを絡ませてしまったり、ボタンを押し間違えたりと、細々としたミスを提示するのではなかろうか。
観察者としての筆者は、あくまで「いつも通りのAさんの家の中での部屋の片付け方」を見たいだけなのである。Aさんは、「部屋の掃除はだいたい1日10分程度かなー すぐ終わるよ片付けなんて!」というが、観察者が関与したときのAさんの掃除が1時間もかかってしまっていたとしたら。

それはやはり、<観察>という行為が他者に何らかの影響を及ぼしているとしか、言いようがないのである。

どうしても「いつも通りのAさんの部屋の片付け」を確認したければ、最も成功するのは「こっそりとAさんの家に監視カメラをつける」ことであろう。そうすれば、Aさんの<意識>からは「誰か(観察者)から見られている・・・」という心理は生まれ得ず、したがって観察者は満足して目的を達成できることになる。
「監視カメラがあるかも」と思わせては、絶対にならない。監視カメラがあると意識した瞬間から、行為者はその目線を気にせずにはいられなくなり、普段通りの生活を送ることはできない。

最初に例をあげたチューリップ(植物)に関連させると、一般的感覚では私たち人間の<観察>が植物であるチューリップの生育等に影響するとは到底考えられない。しかし、観察対象を植物ではなく人間にした瞬間、変な違和感が生ずるのである。それはおそらく、「心意識」であろう。
ここでの植物/人間 の違いは、「心意識がないかあるか」である。 植物には心がないと考えられているから(少なくとも今日までの科学的世界においては)、私たち一般人は安心して(?)「植物観察」を行うことができる。
しかし、人間には<心>なるものが皆あると考えられているので、「人間観察」を行う場合には、何かしらの相互影響を観念しなければならないのである。

観察者(人間) → 対象物(植物)
観察者(人間) ⇔ 対象物(人間)

こんな感じである。純粋に、人間を観察(カメラでもいいし、渋谷に出てルンペンのふりをして歩行者を1日中眺めるでもいいし)しようとする時には、観察者が対象物に与える影響を考えなければならない。対象物(人間)は、観察者(人間)の目線を気にせずにはいられないのである。気にせずにはいられない結果、行動にも多少の影響が出る。よって、対象物(人間)の「純粋」な行動/態度を、観察者(人間)は的確に捉えることは少なくともできないのである。

以上

misty @

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記事を

 完成させました。

どうもこんぱら、mistyです!

「批判/非難」の記事を完成させましたので(まぁ30分くらいしかかかってないんですが)、報告までに。 短めだし、僕のブログの記事にしては読みやすい&コメントしやすいんじゃないかなーと思ってます。要するに、「批判」と「非難」をネット社会ではとりあえず区別してみようよ!ということですからね。

ご意見あると、嬉しい限り。

それではっ。

 misty @

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批判/非難

というわけで、1週間に1回、つまり月に4回くらいは最低ラインとして投稿してはいきたいですね…。

「ふっ」と疑問に思う事があっても、それを解決するのってすごく時間かかったりすることありますよね。
それは、答え方が一つではないからです。たくさんあります。

一言でいえば、「多様性」です。

それでは、記事へ…

@批判/非難
1.問題提起
2.「批判」とは
3.「非難」とは
4.批判/非難

1.問題提起
この投稿記事が指摘する点は非常に簡潔である。それを最初に断わっておく。つまり、

昨今のメディア社会における「○○批判」という言葉遣いは、まずもって正しくない!

ということである。例の事件を以て小沢批判~とかいう、そのノリは感性的に理解できるのだが、しかし用語法としては「批判」という言葉を使うのは多くの場合に於いて間違っている。そしてそれはたいてい、「○○批判」→「○○非難」と置き換えると、用語法上は正しく思われることが実に多いのであるという事。

少なくとも、私が「批判」という言葉が意味しているのは、簡単に言って次のような事柄である。

2.「批判」とは
以下、引用。

「批判とは、単に悪口を言うことではありません。正しいのかどうかをきちんとチェックしてみる厳しい姿勢を指します。」    小野攻生監修『図解雑学 構造主義』(ナツメ社、2004)pp54

この、「きちんと」という点が、とても重要だと私は考える。上の引用記述は、カントの代表的著作『純粋理性批判』などにおける、カントの理性批判研究の文脈の中で語られている。 カントが人間が有する理性について、どれほど綿密な考察をしているかは、それは本を開けば読まずとも丸分かりだ。
「きちんとチェックする」というのが、「多くの時間をかけてチェックする」ということと同義という事ではない。

しかし、昨今の「○○批判」という言説は、極めて短時間に作られた言葉、もしくはその使われ方としての言説に他ならない。 小沢批判、海老蔵批判、東電批判というのであれば、そこには緻密な検証程度が含まれていなければならないはずである。
現実には、そうでない。東電批判をするのは、ニュースから流れた東電の記者会見の映像を見て、その一事を以てだけして「東電は社会体としてけしからん…!」という。それを「東電批判」と呼ぶならば、それは間違い以外の何物でもない。 そう、引用文の通り!ただの悪口である。

ただし、「東電非難」というのなら、それは正しい用語の使い方である。それを次に見ていく。

cf. カントの著作の一つ、『純粋理性批判』を英訳にすると、”Critique of Pure Reason”であるそうだ。カント的「批判」とは、この「critique(critic)」を指す。
critique(critic)の意味は、名詞で1批評家2粗捜しをする人、などだが、原語では「判断(決定)ができる、批評家」(ギリシア語源)である。

3「非難」とは

辞書的な意味における「非難」とは、次を事柄を指す。
ひなん【非難・批難】 「人の欠点や過失などを取り上げて責めること。『不実な態度をーする』。」  (デジタル大辞泉より)

つまり、(日本語における)「非難」の意味の中心部分は、それが心理的/感情的な態度・行為であるということだ。 バッシングというカタカナが示すものと同類である(バッシングは、もっと強めの「非難」、つまりは程度が強度であるという差異があるのみで基本的には同室の事柄を指すと思っていただければ良い/)。責める、というのは、心理的攻撃の一種である。それはどちらかというと、感性的な行いである。人の態度を見てカッとなったから、「ふざけんなよお前!」と責め立てる。
少なくとも、日本語圏における「非難」とは、上で見たような心理的/感性的態度を示すものだと私は定義付けしておこう。

cf. 英和辞典で調べると、この心理的/感性的態度を示すものとしての「非難」は、さしあたりblameとかattackとかになりそうである。しかし、後にも関連することだが、批判/非難 の両方を指し示すものとして、「criticizm」(critisizeの名詞形)がある。現代英語、辞書的な正解での英語では、批判/非難 は、一般的にはそれほど区別して意識されていないのかもしれない。しかし私は、この両者をとりあえず区別してみよ!と提唱している訳である。

4批判/非難 

「批判」という言葉と、「非難」という言葉が指し示すもの、抱えるものを、私は敢えて区別する。超簡単に説明すると以下の事柄になる。

批判:どちらかというと、理性的/長時間的な態度・行為
非難:どちらかというと、感性的/短時間的な態度・行為

どちらも人の頭の中から算出されて示されたり行われたりするものではあるのだが、そこには以上のような決定的な差異がある(と私は提唱する)。

理性的、感性的というのは雰囲気でつかんでいただけると思う。専門家や学者が行うのは、基本的には前者の「批判」の方であり、一般大衆によく見受けられるのは、後者の「非難」である、と説明するのはいささか極端であろうか。 ただし、例えば学者が「○○批判」とかいうタイトルで論文や書物を書いたりするとき、それは短時間の範囲の中では成し遂げ得ない。学者的「批判」は、「しっかりと厳密にチェックすること」であるから、ちょっとやそっとの時間のことでは簡単に行為することのできないものである。

反対に、一般ネットユーザーが「東電批判」とか「海老蔵批判」とかをコメントに書き残す場合、そのほとんどは心理的な動機から生まれ、そしてかつ相対的に短時間の間でなされた態度・行為である。「東電批判」とのネット言説が意図する所は、東電に対する心理的な憎しみや激怒からネット行為者が短時間を通じてエクリチュールしたものではないだろうか。新聞の記事そのものはある程度時間がある範囲内で、理性的に構築されたものであることは伺えるが・・・。

ともかく、安易に批判、批判という言葉を使っている人には、一度でもいいからカントの「純粋理性批判」をググってもらいたい。カント的「批判」が内包するものがどんなものであるか、印象だけでも十分に受け取れるはずである。そこには、おそらく我々がメディア社会において様々に取り交わしているコミュニケーション的行為の、幅の広さを知る契機があるはずである。

最後にではあるが、繰り返し、「批判」と「非難」という単語を英和辞典で調べると、ともに「criticizm」という単語でくくられる。英語圏においては、批判と非難はいっしょくたに使われてんじゃん!じゃあわざわざ区別する必要はないじゃん! と考えることもできようが、本稿では敢えてそれらの諸概念を区別すること、それを始めよと主張するのである。

以上

※ なんか、今回の記事は、従来の「フルハウスは嗤う」らしくない、とてもシンプルな記事でした笑 極度に簡素化したモデルを提示したので、「こいつバカか?」と思われる方も多いんじゃないかなと思います。 久々言いますが、「コメント求ム!」笑

misty @

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「フルハウスは嗤う」の位置づけ

こんぱら、mistyです。

また不眠症チックなので、遅めの時間帯の投稿なのですが、ご容赦を。

 新しい季節が始まると中々忙しいもので、まぁそれでもこのブログは1週間に1回くらいは載せたいなぁ…。

『フルハウスは嗤う エッセイ集』として、まず自分で編集・作ってみて、出版しないかなーなーんちて笑
 基本的には思考のスケッチ、しかもかなり荒いシロモノですからね、「フルハウスは嗤う」は。

ここで、新季節という事もあり、改めてこのブログの位置づけを説明した方がいいのかな…?

AKBブログのように、毎日の自分達の様子を詳細に伝える公的日記とはだいぶ違う内容のブログですので。

ちょっとだけ説明します。

@「フルハウスは嗤う」の位置づけ

 このブログを初めて読まれた方も、ぐぐってぐぐってアラ変なブログにたどりついたという可能性もなきにしもあらずかもしれません。

 このブログはどういうことなのか。
上や横の方にも説明が載っていると思いますが、ここではそれらよりちょい詳しい説明を。

 このブログは、法学部専攻であるmistyが、日々生きる中で接していく社会現象から、いろんなことをビビビッと感じ取ったこと考えたことを、他人に共有しても面白いんじゃないかなと思って、エッセイ形式やら小論文形式やらで投稿している、まぁ社会派ブログです。

 私自身が、まだ普通の大学4回生であるということからしても、学術的な価値はほとんどないといってよいでしょう。 教授や、社会人をなさっている方のブログの方がよほど価値があるでしょう。

 私は、いわばヒヨッコです。ヒヨッコなりに、社会現象のことを基礎的に・本質的に整理してみたいのです。
だから、あぁ素人が社会現象分析を試みようとしているなぁ…どうよそれ… 的な視点から眺めることになるんですかね。

私の思考法や感情法が、たまーに開花することもなきにしもあらずなので、そういう意味で、あくまで素人(非・専門家)がどう社会の問題を見ているのか、そういった視点を読者の方々に提供することが、このブログが意図する目的であります。


…こんな感じです。笑 元々は、芸術ひいては文化方面での社会現象を考察しようと考えていたのですが、人生とは色々あるものであり、僕の頭もいろんな分野に反応するので、まぁそれはタラタラと思いつくままにピックアップしていこうかと。

だから、「変な人が変な物の考え方をしているなー」と思って頂ければ、それが何よりの幸福なのでございます!爆 いえ、本当です。

以上をもって、ブログの説明を終わりたいと思います。乱文すみませんでした。

misty @

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動いてやまない機械

 こんぱら! mistyです。

前回の投稿は、3月の読書記録だけだったので、本当の新年度一発目の記事は今回ということにします!

まぁ、あまり中身はないと思われるのですが・・・苦笑 ブログって難しいな。(><)

@動いてやまない機械

ドゥルーズ=ガタリ著の「アンチ・オイディプス」を読んでいる。
(ちなみにドゥルーズ単独著作の「差異と反復」も、あと一章と結論部分だけ!)

「アンチ・オイディプス」を読んでいてすぐに分かることなのだが、この書物には実に「○○機械」という表現が多い!

欲望する諸機械、源泉機械、器官機械、アルプス諸機械、独身機械、線形機械、原始土地機械、資本主義機械・・・。
ほとんどの単語に機械、machine of〜を付けているぐらいである。
ではドゥルーズ=ガタリは「アンチ・オイディプス」(及びその続刊の「千のプラトー」)を構想するにあたって、いわゆる機械論を骨子にしていたのかというと、そんな説明はどこにもされていないので、おそらくこれは短絡的すぎる見方なのであろう。

しかし、私自身は、このありとあらゆるものを「機械」と(いったんは)見なす機械論が、割と好きなのである。機械論をしっかり踏まえて物事を考察したことはないが。

私の中での「機械」のイメージは、幾つかの歯車が複雑に絡み合って、絶え間なく動く第時計の裏のようなモノだ。 

人間を一種の機械と見なす「人間機械論」にも様々のものがあるが、例えば本稿で私は、「絶え間なく動いたり、突然動きを止めたりする」点を強調してその一つを描写してみたい。

機械は、スイッチを起動させている限り、絶え間なく動く。時には、故障して暴走することすらある。暴走しているときであっても、「動いている」ことに変わりはない。
基本的には、スイッチを切ると、動きを止めてくれるようになっている。

さて、一方人間も、ある意味絶え間なく動く存在である。人=休むか動くかしている存在 とでも定義したくなるほどだ。
体を動かしていないと落ち着かない、という人がいる。これはそのことの典型例だと考えられる。このときの「体」というのはおもに「身体」のことであるが、それが「頭脳」の場合であっても話は変わらない。

最近の学知においては、<思考>の源泉はー心ではなくー、頭脳の働きによることが実証されている。
ところで、思考とは絶え間なく続くものである。
自由とはいったい何であるかの、哲学的な空想に耽っているとする。突然、お腹がすいたなぁと思う。また思考は自由の意義に戻る。すると、明日の時間割のことが気になってくる。そういえば、昨日連絡がつかなくなった母親はどうしているだろう・・・

思考はこのように、それぞれにおいて一貫性を持たず、しかしそれらは連続的である。止まることがなかなかない。

そして、頭「脳」も身体の一部であることに違いはないのであるから、やはり人間はその限りにおいて絶え間なく動く存在なのである。もちろん、睡眠といった休憩を必要とする。
この点において、人間と機械は似通った性質を持っていることが言える。機械もまた、その限りにおいて絶え間なく動く存在なのであるから。そして、スイッチをいれっぱなしにしておくと、エネルギー不足になったりパンクしたりする。

ところで、身体を必死に動かしている間、または頭を懸命に使っている間、私たちは、得も知れぬ快感を感ずることがある。世界にとけ込むかのような、世界と自分が一体になったかのような、そんな心地よい気分だ。
一生懸命絶え間なく動いていると、理性とは関係なしに感性がそうした一種の快楽を受け取ることがある。これも、人=絶え間なく動く存在 からくることの、何かしらの作用であるのだろうか。

misty @

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3月中に読んだ本!

こんぱら!

読書メーターより転載です(*^。^*)  漫画はいつもの通り、「君に届け」だけレヴューしましたv v

2011年3月の読書メーター
読んだ本の数:15冊
読んだページ数:4128ページ

■君に届け 13 (マーガレットコミックス)
★★★★★ もう、キュンッキュン! 前巻は、少しダラダラした展開が多かったけど、今巻ではまたストーリーが躍動感いっぱいに動き出し、爽子のミクロな心理の描写も多少あるo(^-^)o 成長物語。 ああ青春、毎回のことながら心洗われます笑笑
読了日:03月31日 著者:椎名 軽穂
http://book.akahoshitakuya.com/cmt/10418471

■ドゥルーズ―解けない問いを生きる (シリーズ・哲学のエッセンス)
★★★☆☆ ドゥルーズの紹介というよりは、ドゥルーズが示した幾つかの概念を少しだけ提示して使ってみた みたいな。 折角のドゥルーズが、なんか普通のこと言ってる哲学者に過ぎないイメージが…  ドゥルーズ入門としてはオススメできません。 ただ、檜垣さん自体、例えば今「現代思想」で連載・展開中のドゥルーズの議論は、ためになるかも!
読了日:03月31日 著者:檜垣 立哉
http://book.akahoshitakuya.com/cmt/10418391

■神曲【完全版】
★★★★★  煉獄編の途中で放置したまんまですが…。 あまりにも有名過ぎるダンテのこの作品から、一般日本国民たる僕が感じることは意味が薄いことかもしれない。しかし一応…笑 短い淡麗な文章が紡がれる感じで、かなり読みやすい。挿絵がキレいすぎる。 うん、『講義 神曲』も合わせて読んだ方が絶対いいな…
読了日:03月31日 著者:ダンテ
http://book.akahoshitakuya.com/cmt/10418302

■やわらかなレタス
★★★★☆  読んだだけで、幸福のよだれを思わずためこまなきゃいけないほどのー。 「食」に関する、実に江國さんらしい素晴らしいエッセイでした。どうしてこの人が料理や食材を活字にするとたちまち生き生きするんだろう。 自分の食生活も豊かにしたいと感じた一冊でした\(^ー^)/
読了日:03月30日 著者:江國 香織
http://book.akahoshitakuya.com/cmt/10390339

■川上弘美 (現代女性作家読本 (1))
★★★★★ すみません、同じシリーズの江國香織さんのを読んだのですが検索に引っ掛からなかったので、川上さんの所に簡単な感想を書かせて頂きます。江國香織、独特の作家。彼女が最近まで書いてきた著作を文学的観点から評論してみた、という感じでしたが、如何ようにも読める彼女の小説はやはりスゴいとばかり息をつきました。本当に憧れの作家です。江國さんと文芸評論家の対談などを是非見てみたい!
読了日:03月29日 著者:原 善
http://book.akahoshitakuya.com/cmt/10373775

■アンチ・オイディプス(上)資本主義と分裂症 (河出文庫)
★★★★☆ とりあえず、第一章と訳者さんによるあとがきを読了。 アマゾンのカスタマーレビューにあった、「小説のように読むといいかもしれない」が本当にタメになってしまって、理解なんてできるとこだけ理解できれば、あとはこの本によって得た様々なものをどうにか生活に実践していけばいいやと思いました。資本主義と分裂病が一種の並行関係にあるって著者は真面目に考えているのかな。。 いや、これは文学ですね!
読了日:03月28日 著者:ジル・ドゥルーズ/フェリックス・ガタリ
http://book.akahoshitakuya.com/cmt/10358462

■構造主義 (図解雑学)
★★★★★ 3回目を読んでいる所であります(*^。^*) タイトルは「構造主義」だけれど、それ以前の近代哲学のカント・ヘーゲル・ニーチェなどにも丁寧に触れた後で、デリダやドゥルーズあたりのポスト構造主義の紹介もきちんとしている、大変良書だと考えられます。この本がきっかけで哲学すごいと思うようになりました。図解雑学シリーズ、感謝っ!
読了日:03月28日 著者:
http://book.akahoshitakuya.com/cmt/10358385

■妻を撮ること
★★★★☆ 正直、幸せな光景に少しイラッときてしまった。幸福を撮るということは、どんなにかエネルギッシュなんだろう。
読了日:03月18日 著者:中村 泰介
http://book.akahoshitakuya.com/cmt/10198823

■コミュニケーションの社会学 (有斐閣アルマ)
★★★★☆ 急いでいたので、第一章だけ早読み。 あ、探してたものはコレかも、と感じました。 おそらく、近日中に読み進めると思います。今は感想だけ。
読了日:03月17日 著者:
http://book.akahoshitakuya.com/cmt/10190464

■宗教生活の原初形態〈下〉 (岩波文庫)
★★★★★ とにかく、この下巻の「結論」がスゴい! 宗教社会学というカテゴリーを大きく超えて、プラトンやカントに至る哲学に接近しています。正直、「結論」は難しかったのですが、デュルケームの言っていることがほんの少し理解できた気がして、読んで良かったです(*^。^*) 本当に良書。ウェーバー読みたい。
読了日:03月17日 著者:エミル デュルケム
http://book.akahoshitakuya.com/cmt/10190268

■美しい夏 (岩波文庫)
★★★★☆ 頭をあまり使うことなく読みました(*^。^*) イタリアの街で、ささやかなものに翻弄されながら自分達の青春を生きている若い女性の姿がきれいに描き出されている。裸婦像の「ポーズ」にこだわる主人公の内面が、面白かったです。ちなみに解説はあまりに長かったので読まず…。
読了日:03月16日 著者:パヴェーゼ
http://book.akahoshitakuya.com/cmt/10190141

■小さな町で (大人の本棚)
★★★★☆ 最近読んだヘルタ・ミュラーの「澱み」に近いものを感じました(舞台設定が農村である点)。 最初らへんの、少女があっという間に死ぬ話が1番印象的でした。解説で語られる通り、ストーリーは悲しいテーマなのにどこかそれを軽快に描く、筆者独特の才能を感じましたo(^-^)o 面白かったです。
読了日:03月13日 著者:シャルル=ルイ・フィリップ
http://book.akahoshitakuya.com/cmt/10143455

■システムのはなし―複雑化・多様化へのチャレンジ
★★★★★ とっても分かりやすい本でした! 序盤は、システムの反意語がカオスであるって所からびっくりして、そして引きずりこまれていきました。システム工学生のためのページもありましたが、文系の僕が読むからこそ面白い視点や発見がたくさんありました! ルーマンの社会システム理論を、もう少しでいいから精確に理解したい。
読了日:03月10日 著者:大村 平
http://book.akahoshitakuya.com/cmt/10103346

■アイドルにっぽん
★★☆☆☆ 残念ながら、自分が求めていた事柄が語られる書物ではありませんでした、だから7割くらい読んでいません。ただ、著者は本当にエネルギッシュにアイドルが大好きなんだなぁ…と思うばかりでした。「論」と言えるのかどうかは分かりません。「なぜ人はアイドルに魅せられるのか」を科学的・論理的に説く本にこれから出会う予定です!(キリッ) 
読了日:03月03日 著者:中森 明夫
http://book.akahoshitakuya.com/cmt/10006860

■宗教生活の原初形態〈上〉 (岩波文庫)
★★★★★ 社会学者デュルケームの、考察には一切妥協を許さない真摯な姿勢にまず恐れ入りました笑 宗教の定義に始まり、考察対象をオーストラリアのトーテミズムに絞ることで、原始宗教の本質を明らかにしていく。その過程は一般人にも分かりやすい内容で、なるほどそういうことだったのか!という発見が多いと思います。下巻にも期待!
読了日:03月03日 著者:エミル デュルケム
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自己同一性(アイデンティティ)

 こんぱら・・・

今日のちょうどお昼に、同タイトルで長めの記事を書いていたのに、アクセスエラーが重なってデータ消えたんですよね・・・

もう自分的には一応解決した考察なので、原型だけ留めておきます。

@自己同一性(アイデンティティ)

今日の社会では、「自己同一性(アイデンティティ)の確立が大切だ!」とよく謳われている
↓ それではそもそも

なぜ、自己同一性の重要性が説かれるのか?
↓思うに

直観としては、社会的人間はむしろ複数性=非同一性 を有するものである
だからこそ、<同一性>が欲望される、という事態になっているのであろう

↓(ここから簡単な図を使って人間の同一性/非同一性をめぐる議論を説明)

自己同一性は、とりもなおさずまずは<社会>の側の方が、私たち<個人>にそれを求める
自己同一性とは、<社会>が作り出した/産み出した 装置の一つに他ならない
理由としては ・管理/処理のしやすさ(仕事面においても、プライベートにおいても)

自己同一性を与えることによって、使いやすい/従順な人間を作り上げることにつながる

↓しかしそれ以上に

私たち<個人>が自己同一性を欲望することの側面の方が大きい

↓では

なぜ私たち個人は自己同一性を求めるのか

↓複数性を有する人間と比較すると

人生の拠り所を複数持つ人間は、しかしやはりどこか寂しい

結局は、人間は、0でも2でも3でもなく、1つの拠り所/原点/帰属先 を本質的に欲望するのである

故郷が1つであることの安心さ  自分の母親の胎内(それは1つの場所である)にいたことへの懐古

↓したがって
「自己同一性の確立が大切であると叫ばれるのは、第一義的には<社会>の要請でもあるのだが、第二義的には<個人>が1を欲望する結果が反射される故でもある」

との暫定的結論

↓それではなぜ
個人としての人間が1なるものを欲望するのか、については本稿では解答しえず

以上

ああーーデータが消えてなかったらなぁ・・・

misty @



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自己批判システム

こんぱら!

久々に、フルハウスは嗤うらしい記事を、投稿してみむとす\(^o^)/

@自己批判システム

1.前提
 ヒト/モノなどの対象が、どうやったら改善するのか、ということを、影響関係―例えば<私>と<他者>からなる相互影響関係―の観点から考えたとき、

やっぱり、一番分かりやすいのは、人から、「お前、そこはおかしいんじゃない?」とか、「ここはこうすればいいよ」と指摘されたりアドバイスを受けたりなど、<他者>からの影響を受けるということである。

このことには、以下の事柄を大前提として含んでいるー。すなわち、

「自分のことは自分では見づらい」

物理的な意味においても、精神的な意味においても、その他包括的な意味において、そうなのである。

 物理的な意味合いにおける上記の概念を試しに見ておこう。人は、自分の顔面を直視することは一生ない。 鏡があるじゃん! といっても、それは左右が逆で、しかもその鏡面のクオリティ如何によってかなり規定される、文字通りの<虚像>である。実体ではない。

おそらく、<私>の顔面は、何人もの<他者>が直接的に、かつ的確に見ている―この<私>一人を除いて。

 同じように、精神的な意味合いにおいても、私たちは自分のことを分かってるようで実は全然分かっていない。他人に「お前はおっとりな性格なんだよ」と指摘されて、「そうなのか!」と衝撃を受けるくらいである。自分のことは、近視のおかげで、<思っているよりも見えていない>。


だから、<他者>の存在はとてもありがたい存在なのである―。ハネた髪を指摘してくれる<他者>、叱ってくれる<他者>、諸々の<他者>。

2.本論
しかし。 (本論はここからであるのだが)

 現代社会においては、人は、自分のことは自分で管理しなさい、とよく言われるようになったし、実際にもそうなってきている。 「自己責任の原則」はもちろん、自分のことは自分「一人」でできなきゃ恥! ということが、いわば世の中の常識と化している。


マ、マジで?  自分はこんなにも見づらいものなのに??

そこで出てくるのが、「自己批判システム」という、筆者が勝手に命名した装置である。

大学を例にとってみよう。 昨今の大学の講義では、必ずと言っていいほど、「授業評価アンケート」なるものが配られる。

それはどういうものなのかというと、例えば

「1.この半年間の講義は、面白かったですか? 2.講義のどのあたりがつまらないと感じましたか? 3.教師の指導は適切でしたか?」 などといったウンザリする質問項目が延々と続く、実にタイクツな代物である。

 諸々の講義を―単位を撮るために―受けた大学生は、任意でこの授業評価アンケートを記入し、最後の授業時にちっぽけな箱に入れてその場を立ち去る。

 さて、この回収された授業評価アンケートは、もれなく担当教員の所に哀しくも行き渡り、「先生の話す声が聞きとりづらくて…」などと書いた無残なそれを眺めながら、彼らはその集計結果をネット等に公開する。

そして、一個下の学年が、そのよくまとめられた集計結果を見て、「あぁこの講義は、86人の受講生の内56人の人が『大変面白い』と感じたのか…」などと呟く。また、教師もその集計結果をもとに、自分の教育方法の反省材料にし、「来年の授業は、もっと声を張るぞ!」などと息づいたりする。

この大学の講義の話で伝えたかったのは、以下のことである。

「今年度の講義内容が、学生たちによって評価され、それを元に担当教員は来年度の講義に活かす」

という仕組みに授業評価アンケートが加担しているということである。

この、授業評価アンケート制度を取り入れることを予定しているという点において、私は、昨今の大学の講義の仕組みを「自己批判システム」の一つに数え上げている。

 「自己批判システム」とは、簡単にいえば、

自分が自分をちゃんと見れるようにしておく仕組み

のことである。 上記の大学講義での授業評価アンケートの例で言えば、

「講義(内容)が自分自身をちゃんと批判―厳しく考察すること―できるようにしておく仕組み」

ということになる。

 もちろん、生徒達が自発的に、「先生ーもっと分かりやすく教えてよ!」と言ってくれれば、こんな面倒くさい
―しかも往々にして悲惨たる―制度は要らない。 しかし、筆者の知ってる限りでの大学生徒というのは、何というか、こう、冷めているのだ! ドラマや映画で出てくるような積極性を持っていない。

生徒達が自発的に教師に悪い点を諭してくれる― <他者>が<私>に影響をしてくれる。

 しかし、中々そんなことが望めない中で、<私>が<私>に影響を及ぼす「自己批判システム」は、一般社会に産まれてきたのではないか。 筆者はそう考える。

 鏡は、最たる例だ。 ファッションチェックは、勿論友人やショップ店員さんの<声>が非常に大事だが、まずは自分の服装を鏡で確かめるのではなかろうか。 うーん…この帽子はやっぱおかしいな、とか、あれは自分で自分をなるべく見るための、装置の一つなのである(と私は考える)。
 先ほどにも述べた通り、鏡に映る像は、「虚」像でしかない。しかし左右反対のその像は、うまく利用―頭の中でこれは左右逆なんだよなとか再確認することによって、或いは習慣的・反射的に―することによって、<私>の批判/改善を促してくれる。

 自己啓発本のブーム。 自己啓発本は、自分のことを本の中で再発見し、自分を批判し改善するための書物である。本を通して、<私>は<私>に影響する。
 正直、本は<他者>であるといえなくともないのだが、一応自己啓発本は先ほどの鏡のような媒介機能を以てして、最終的には<私>・自分が<私>・自分をよく見えるように手を差し伸べてくれるのだ。

 これが、自己批判システムである。

 気が付けば、至る所に、自己批判システムは存在する。大学機構、鏡、自己啓発本、諸々のSNSの日記、「イイネ!」etc…。

3.結論
これらは、個人主義―<個>が<個>として、集団の中から切り離されて<個>として生きなさい!と半ば放逐されて、<個>として生きていこうとする傾向・考え―が採用される中で、

自分・<私>がよりよく生きていきたい、そのためには、

自分を自分でもっとよく見れる/批判できる/改善できるようになりたい・<他者>の手を煩わせなくても

と考える中で産出された、現代社会の様相を如実に映し出している。それが「自己批判システム」である。

misty @ 

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私にとっては、新しい試みです。

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プロフィール

HN:
misty
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28
性別:
男性
誕生日:
1989/03/19
職業:
学生
趣味:
読書/音楽鑑賞/音楽制作/小説執筆/美術館巡り
自己紹介:
学生をやっております。
*好きなモノ・コト
自分哲学すること。
音楽を聴くこと、観ること、演ること、造ること。
映画鑑賞。静かな空間。くたびれた電車の中。美術館。
江國香織。遠藤周作。田口ランディ。

*苦手なモノ・コト
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早起き。健康的な生活。
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